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カテゴリ:教授の雑感
今、「科学研究費」申請の締切りが迫っておりまして、うちの大学でも学長・副学長のレベルでさかんに「まだ申請してない人は申請して下さい!」という呼びかけがなされております。こういう学外からの研究資金確保は、国立大の独法化以来、非常に切実になってきておりますからね。 で、そんな中でちょいと耳に挟んだのですけど、今、科研費の申請が一番少ない学問ジャンルって何だと思います? 答え:「哲学」です。 なるほどね。言われてみれば、何となくわかりますね。最近の学生たちを見ていると、そんなものに関心がある奴なんていなさそうだもんな・・・。こういう状況下では、哲学を研究している先生方の気合も、薄れてしまうのではないでしょうか。 しかし、それを言ったら我が英米文学・言語学方面も同じようなものでありまして・・・。 こちら方面で特に低調なのは、多分、言語学じゃないかしら。私は別に詳しいわけではありませんが、言語学をやっている同僚の先生方によりますと、学会なんかも低調だそうですな。新たな発見とか、そういうのに沸き立つという状況ではなく、以前だったら論文の注に「こんな変わった文例もあります」と載せる程度の話題を、今では論文の本体で詳しく論じるようになってしまうほど、まあネタに困っている面があるのだそうで。確かに一生に一度出会うかどうか、というような特殊な文例をメインで論じるようになったんじゃ、もはやタコ壺的に行き詰ったという感がありますわなあ。言語学関係の学術書にしても、最近ではせいぜいこれまでに得られた知見を分かりやすくまとめた本がちらほら出る程度なのだとか。N君、そうなのかい? ちなみに国語学方面で最近ちょいとマスコミ的な意味で人気なのは、日本語の誤用の分析なのだそうで、例えば「役不足」なんて言葉が今では本来の意味とは逆な意味で用いられている、なんてことを面白く紹介する本がよく出ているようですが、これも今は人気だけど、あんまり学術的に意味があるとも思えませんねえ。 で、私の専門のアメリカ文学となりますと、さて、どうでしょう。 ま、全国的な規模で見ますと、いわゆる大物作家、マーク・トウェインだとか、フォークナーだとか、そういう連中のことを真正面から論じるような学術書が結構出され、しかもそれを若い研究者が書いていたりしているところを見ると、まあ、さほど低調を嘆くほどではないのかな、と。それに今年はエドガー・アラン・ポーの生誕200年、没後160年という記念の年でありまして、ポー関連のイベントも結構ありますしね。 ただ、もう少し目を身近なところに向けると、ちょっと怪しいところもある。 実はある事情から、中部地区の若手アメリカ文学研究者たちの論文を2、3読んでいるのですけど、正直、あんまり芳しくないですなあ。ま、内容自体も刺激に乏しいのですけど、それ以前の問題としてそもそも日本語がなってないんですよね。日本語どころか、字もやたら間違っている。 例えば「死体累々」なんて書かれると、「えっ?」と思うわけですよ。それを言うなら「死屍累々」でしょう? 「跳ねつける」(→「撥ねつける」)とかね。「死者をともらう」(→「死者を弔う」)とか。「喪に伏す」(→「喪に服す」)とか。もう間違いを挙げていったらキリがないんですけど、これがプロの研究者の書く文章なんだからなあ・・・。レベルが下がっているとしかいいようがない。 ま、地盤沈下はあちこちで見られますよ。 でも、そこを突破していかないとね。 このことについて同僚の先生方とも話をしていた時も、それぞれの先生方が、いかにこの低調な時代にいい業績を出すか、知恵を絞っておりました。私も、負けずに頑張らないとね! がんばろうっと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 17, 2009 12:06:33 AM
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