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釈迦楽

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January 24, 2012
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カテゴリ:教授の雑感

 全豪オープンで錦織選手が快進撃を続けております。昨日はなんと(ワタクシが大ファンの)強豪ツォンガ選手を破ってのベスト8入り。四大大会へのベスト8進出は1995年ウィンブルドンの松岡修造選手以来というのですから大したもんだ。

 ですが・・・。

 なんか、この報道の感じですと、テニスの四大大会でベスト8に進出した日本人は、過去において松岡選手と錦織選手のただ二人だけ、みたいな印象を受けますよね? 私もてっきりそうなのかと思っていた。

 ところがさにあらず。四大大会でベスト8以上に進出した日本人は錦織選手、松岡選手以外にも4人もいる。1918年に熊谷一弥選手がベスト4、1920年と21年にウィンブルドンで清水善造選手がそれぞれベスト4、ベスト8に進出。清水選手はこの他にも1922年に全米でベスト8に進出している。それから佐藤次郎選手というのもすごくて、1931年全仏でベスト4、ウィンブルドンでベスト8、1932年の全豪でベスト4、ウィンブルドンでベスト4、1933年の全仏とウィンブルドンでともにベスト4に進出している。それから布井良助選手も、1932年の全豪でベスト8に進出。

 つまり1920年代初頭および1930年代初頭のテニス界において、日本人は四大大会上位進出の常連だったと。そういうことですな。

 なんか、同胞がそんな快挙を成し遂げていたということ、日本人自身がすっかり忘れているってところ、ないすかね? 昔の日本人はすごかったということを、我々はもう少し勉強しないといかんのじゃないかなあ・・・。


 ところで、今日、私はもう一つ、「昔の日本人はすごかった」という例に出くわしましたよ。

 勤務先の大学の図書館で、今、日独交流150周年記念の展示をやっておりましてね。テーマは「第1次大戦時のドイツ人俘虜」なんですが。

 で、私が理解したところによれば、ですよ、19世紀末から20世紀初頭にかけて中国の膠州にドイツが租借地を持っていた。ヨーロッパ列強による中国進出の一例ですな。

 ところが第1次大戦で日本はドイツに宣戦布告し、青島で交戦することになる。で、神尾中将率いる日本軍が勝利し、ドイツ人俘虜4700人を連れて日本に戻ってくるんですな。何しろ数が多いですから、その4700人のドイツ兵は日本各地に俘虜として収容され、戦争終結までの4、5年間を日本で過ごすことになると。

 で、戦争の捕虜ですから、きっとそのドイツ人たちは酷い目にあったのだろうと思いきや、そうでもなかったらしいんですな。敵国兵士といえども、彼らは彼らで祖国のために戦ったのだから、ということで、日本側としては、かなり丁重な感じでドイツ人たちを遇したらしい。もちろん、捕虜は捕虜ですから、逃げられないように監視したり、それなりの不自由さは仕方ないとはいえ、出来る範囲の中で彼らに不都合のないよう、便宜が図られたようで。

 ま、明治時代の日本は何かにつけドイツに範をとるということがありましたから、日本の政界や医学界の中にもドイツ留学経験者が沢山いた。そういうことも、もちろん関係していたことでありましょう。

 で、中でも四国の板東収容所の所長であった松江豊寿氏という人が実に立派で、彼は自分の管理する収容所に割り当てられたドイツ兵俘虜たちを、同じ人間として敬意をもって接し、彼らが健康で、しかも文化的な生活が送れるよう、可能な限り手を尽くしたのだそうで。なにせ松江氏は常日頃「我ら皆、兄弟とならん」と言っていたそうですからね。日本人もドイツ人も、兄弟なんだと。

 一例をひけば、こういうことがあった。俘虜たちの健康のことを慮って夏場など、しばしば瀬戸内海の浜辺までのハイキングが計画されたそうですが、軍の上の方からは「(逃亡するとまずいので)俘虜たちを海で泳がせてはならん」と強く言われていたにも関わらず、松江氏はそれを許したというのですな。

 で、そのやり方がまた粋なもんで、まず俘虜たちを浜辺まで導き、そこで全員に海の水で足を洗うよう命じるんですって。その上で、よそ見しながらぼそっと「諸君の中には、不心得なものがおって、いかんと言っているのに泳ぐ奴がいるんだよなあ・・・」とつぶやくんだそうで。それはつまり、「俺がよそを見ている間に、諸君は泳ぎを楽しみたまえ」ということなんですな。ですから板東収容所のドイツ兵俘虜たちは、浜辺への遠足というと、「今日は足を洗わなくてはならないから、海水パンツを持っていかなければ!」と小躍りしたのだとか。いやあ、松江所長、やるもんじゃないですか!

 ま、そんな風ですから、松江所長はしょっちゅう東京の上役に呼び出され、譴責を受けたりしたのですが、上から怒られても叩かれても、自分の信念でドイツ人たちを守り続けた。ですから、戦争が終わって彼らがドイツに帰国する時には、捕虜たちの誰もが松江所長との別れを惜しんだのだそうです。

 とまあ、そんなことがかつて日本とドイツの間であったわけですけれども、この数年の間、その4700名のドイツ人捕虜たちが日本にもたらしたものというのは結構あって、例えばベートーベンの第9交響曲が日本に伝わったのは、このドイツ人捕虜たちによると言いますし、バウムクーヘンなんてお菓子にしても、この時のドイツ兵たちによって日本に伝わったのだとか。その他、ドイツ料理や、ドイツ農法、そしてドイツの酪農技術や造酒技術なども、この時に伝わったものが多かったとか。

 戦争という不幸な出来事の副産物とはいえ、こういうプラスに数えてもいいようなものが、生じたこともあったんですなあ。

 ま、今回の展示で私が勉強したのは、ざっと上に述べたようなことなんですけども、たった100年ほど昔に我が国でこういうことが起こっていて、松江所長のような立派な日本人がいたということを、私を含め、多くの日本人は知らないんじゃないでしょうかね?

 一番最初に述べたテニスの話じゃないですけど、現代日本人の民族としての記憶力は、せいぜい過去40年か、50年くらいなものなんじゃないかな。一番古い記憶が、「ALWAYS 三丁目のなんちゃら」なんじゃない? 

 それじゃいかんと、自戒の意味も含め、私、思いましたわ。





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Last updated  January 24, 2012 10:08:30 PM
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釈迦楽@ Re[1]:想像ふくらむ、理想のアメリカ短編小説集(06/26) ケンケンさんへ  「赤死病」ですか! …
ケンケン@ Re:想像ふくらむ、理想のアメリカ短編小説集(06/26) 先生と同業の末席にいるものですが、 その…
釈迦楽@ Re[1]:「new born 荒井良二」展を堪能!(04/26) りぃー子さんへ  あああ! お久しぶり…
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