|
カテゴリ:教授の雑感
ひゃー、さっきまで井岡一翔選手対アムナット・ルエンロン選手のボクシング世界戦を見ていたのですが、戦前の予想とは違って井岡選手の判定負け。いやはや、残念。
しかし、今日の井岡選手は、らしくない試合をしましたなあ。ガードを固めてのこのこと真っ直ぐ相手に詰め寄って行くものの、手は出さず、相手のパンチを受けるだけ。いくらガードの上からとはいえ、審判の印象はめちゃくちゃ悪い。 で、ハードパンチャーらしきルエンロン選手、後半は明らかにバテバテで、それを隠すために反則すれすれのクリンチをしながら時間稼ぎしているのが見え見えなんですけど、何せ井岡選手が手数を出さず、返ってルエンロン選手の方が形ばかりのパンチを出すもので、なんとなく印象としてはルエンロン選手が勝っているように見えてしまうという。まあ、実質的には互角、いや、残存スタミナでは井岡選手の方がむしろ有利だったと思いますが、判定の上では負けをくらいそうなボクシングではありました。 うーん、井岡選手って、もっとはるかにテクニックのある人なのに、何で今日はあんなボクシングしたのかなあ? なんか、作戦ミスだったんじゃないでしょうかね。うーん、残念。 ちなみに、この試合における中車さんの解説は今ひとつ、よく分かりませんでした。っていうか、何で中車さんが解説をしているのか自体が分かりませんでした。俳優としてはファンなんですけどね。その一方、内藤さんの解説はいつもながら中立的で、どちらの側のパンチにしても、それがいいものであれば「おーー!」と素直に感動するあたり、とても好印象。内藤さんの人柄が知れますね。 さて、今日の私は例によって一日、拙著の校正作業を続けておりました。 しかし、校正をしていると、日本語って難しいなあとつくづく思います。 どういう時にそう思うかと申しますと、例えば、「もくろみが的中した」なんていう文章を書いてしまった時、ですね。 「もくろみが的中した」という文章、もちろん私自身が書いたもので、書いた時には別に使い方が間違っているとは思わずに書いているわけですが、校正作業中にこの文章に出くわして、はたと考え込んでしまったんです。 つまり、「もくろみ」というのは、果して「的中」するものだろうかと。コロケーションは、これで正しいですか? 「もくろみ」という言葉は、「目算」と同じく、「こうなるんじゃないかなあ」と予想し、その予想に基づいて計画することを意味するわけですよ。つまり、基本的な意味は、「計画」なんですな。「目論見書」というのは、まあ、「計画書」みたいなものですから。 で、そうなりますと、「計画」というのは、「的中」するものでしょうか? 「計画」は、「的中」するものではなく、「うまく行く」ものなのではありませんか? だから、「もくろみがうまく行く」「もくろみ通りに行く」なら、正しい日本語のような気がするわけですよ。また逆に「もくろみが外れる」も正しい気がする。しかし「もくろみが的中する」とか「もくろみが当たる」というのは、果して正しい日本語だろうか、と思い始めると、自信が持てなくなる。 何の気無しに「もくろみが的中する」なんて書いてしまいましたが、多分、この使い方は間違っているのでしょう。直しておいた方が、無難かな〜。 だけど、その辺、微妙ですよね! 「もくろみが外れる」は正しいが、「もくろみが当たる」は、ひょっとすると危なっかしい、というわけですから。 というわけで、日本語ってのは、日本人にとっても難しいなと、思った今日のワタクシなのであります。ボクシングも難しいけど、日本語も難しい! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 7, 2014 11:20:52 PM
コメント(0) | コメントを書く
[教授の雑感] カテゴリの最新記事
|
|