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釈迦楽

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April 17, 2016
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カテゴリ:教授の雑感
 「昭和の男」シリーズ、今日は1982年から1983年辺りのお話。

 大学1年の時の記憶で一つ覚えているのは、私も大学生になった以上、アルバイトをした方がいいのではないかと考えたこと。

 それで人並みに『アルバイトニュース』を買った記憶がある。

 因みに『アルバイトニュース』は1967年創刊で、リクルートの『From A』は1982年の創刊。だから、多分両方買えたのでしょうけれども、私は老舗の方を選んだんですな。『アルバイトニュース』は1986年に『an』に名称変更して今日に至っております。

 で、その雑誌を見ながら、通学の途中でいつもその前を通るコンビニの『ローソン』で働いてみようかなと考えた。

 ということは、1982年の段階で「コンビニ」はもう普及していたってことですな。調べてみると、セブン・イレブンが1973年から、ローソンは1974年から日本進出でございます。だから1982年なら、もうどこでコンビニを見かけても別に珍しくもない状況だったのでしょう。

 だけど、結局、そういうところでバイトする勇気が出ず、バイトと言えば家庭教師をするのにとどまったのでした。もっとも人間的なコネで、玉川学園に通うお金持ちの子弟だけを教えましたので、時給は1万円。その意味では、コンビニで働くより割は良かったかなと。

 いずれにせよ、私が学生の時代にはバイトの情報を扱う媒体もしっかりあったし、コンビニも存在していたということは確かでございます。

 
 それからもう一つ、大学生になったんだから、と決意したのが自動車の免許を取ること。で、大学1年生の秋から日吉にあった自動車教習所に通い出したのでした。確かね、当時、生協の扱っていたパックで17万5千円くらいでしたよ。もっとも、私はほとんどストレートで合格しましたので、この内のいくらか返金されましたけどね。

 だけど、当時の自動車教習所ってのは、まあ、ヒドイところでね。何がヒドイって、教官がヒドイ。ちょっとハンドル操作をミスしたりすると、罵詈雑言の雨よ。こっちは運転出来ないから習いに行っているのだし、そっちは我々が習いに行くからおまんま食えるんだろ? と思うのですけど、まあ、理不尽なところでした。一度などは、あんまりひどいことを言われるので、路上でクルマ止めてほとんど掴み合いになりそうになっちゃった。

 そうだ、名前も思い出した。白井って教官だったよ。最低な奴。

 今、学生に聞いても、自動車学校(名古屋では教習所ではなく、自動車学校という)で嫌な思いをしたことは無い、と言いますので、時代は変ったのかもしれません。でも、昔の教習所はほんと、嫌なところでした。

 で、そんな感じで嫌な教官にいじめられながら、どうにかこうにかここを卒業し、横浜・二俣川にある運転免許試験場に行って学科だけ受けて、見事、自動車免許を取得したのでした。

 だけど、当時はさ、免許を作るのも大変よ。

 二俣川の運転免許試験場の回りに「代書屋」ってのがずらっと並んでいる。で、そこで書類を作成してもらわないとダメなの。代書屋だよ、代書屋。
 
 その頃はパソコンもワープロもなくて、代りに「日本語タイプ」という機械があった。で、プロの代書屋さんが、この日本語タイプを操って正式な書類を作ってくれるわけ。ずらりと文字が並んでいる中から、一つずつ文字を拾ってはガシャっとやるのですから、どの文字がどこにあるかを把握していないといけない。素人ではとても無理な作業なのであります。

 今思い出すと、すごく時代掛かった感じですけれども、お役所の回りに代書屋がずらり、という時代を知っているというのは、今ではちょっと自慢ですな。


 で、晴れて免許を取得した私は、念願のマイカーを買ってもらえることになったのでありまーす。

 免許取ったら自動車を買ってもらえた、なんて言うと、なんだかリッチな感じですが、私の父も母も免許を持っていなかった(もちろん今もない)ので、これが我が家にとって待望のマイカー1号なわけ。だから、特に贅沢って感じでもないわけ。

 それで、どうせ最初はあちこちぶつけるだろうからってんで、とりあえず中古車を買うことになったのですが、何せクルマを買ったことがそれまでないわけだから、様子が分らない。そこで、父の教え子で、当時ヤナセに勤めていたKさんに来てもらって、一緒にディーラー周りをしてもらったと。

 で、私としては、スズキの「セルボ」ってクルマが買いたかったんですよね。軽自動車なんだけど、デザインがすごく良かった。

 でも、当時の軽自動車のエンジンって2サイクルですから、排ガスが青くてすごくガソリン臭いのよ。この排ガスにマッチの炎を近づけたら、もう一度ボッ!って火がつくんじゃないかってほどガソリン臭かった。それに、当時の軽自動車の規格は今のよりよほど小さかったので、家族4人乗ったらギューギュー詰めになってしまう。

 で、Kさんも「普通自動車を買った方がいいんじゃない?」とやんわりアドバイスしてくれたし、値段との折り合いもあって、結局「ザ・日本の大衆車」って感じのトヨタ・カローラを、確か50万円で購入したのでした。

 だけど、当時、カローラってベストセラー・カーだから、車種も多くてね。私が買ったのは「2ドア・ハードトップ」って言う奴。もちろん4速マニュアルね。

 そう、当時はね、クルマはマニュアルが当然でした。っていうか、女の子が「マニュアルに乗れない男なんてカッコ悪い!」って、当たり前のように口にしていましたからね。女の子にそう言われちゃ、大学生の男の子としては、それ以外の選択肢なんかないのよ。

 それにしても懐かしいね、「2ドア・ハードトップ」っていう言葉の響き! 今、そんなクルマないじゃん。

 で、そのカローラ・2ドア・ハードトップ、必ずしも私の好みを反映して買ったクルマではなかったのですが、今思い出してみても、割と出来のいいクルマだったのではないかと。2ドアとはいえ、後部座席も結構広々していたし、シートの座り心地も悪くなかった。1300ccのエンジンも悪くなかったし、それにそもそも当時のカローラってまだFFになる前で、FR駆動だったからね。ハンドリングも悪いはずがない。

 だけど、当時のクルマはエアコンがなかったからねえ。夏場なんか窓を開けて運転するのが当たり前でした。ま、窓開けて、肘を窓枠にかけて運転するのがまたカッコよかったんだけど。でも、対向車線をトラックがやって来るのが見えると、排ガスをまともに喰らうのを避けるために急いで窓を閉めたりしてね。それからカーステレオもなくて、ラジオだけ。ハンドルだってパワーステアリングじゃないから、今との比較でいえばウソみたいに重かった。「パワステ」ならぬ「重ステ」という奴。

 でも、そんな不便だらけのクルマだったけど、当時はそれが普通だったし、とにかく自分専用のクルマがあるってのは、嬉しかったですなあ。


 そして、クルマが我が家にやってくると同時に、我が家にはもう一つ別な大きな出来事が起るのでした。大学2年に進級する時、引っ越しをしまして、長年住み慣れた東林間を離れ、同じ小田急線沿線の栗平というところに家を買ったのでした。ま、その辺のお話はまた後日。





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Last updated  April 17, 2016 12:48:50 PM
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