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釈迦楽

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July 24, 2019
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カテゴリ:教授の雑感
うちの大学の新しい学科の1年生対象の授業として、オムニバス講義があるんですわ。で、その15回の授業のうち、たった1回だけ、担当することになりまして。

 で、そのオムニバス講義の題目が、「学校教育」なのね。だから、当然、文学の話とか、そういうのはできません。

 まあ、私の場合、アメリカ文学・文化が専門なんだから、それと学校教育と掛け合わせたら、「アメリカの学校制度」というようなことをしゃべらざるを得ないよね・・・。

 ということで、まったく専門外ではありますが、アメリカの初等・中等教育の歴史・現状・問題点を勉強し、1回の講義のための準備を進めてきたわけよ。

 だけど、言われなければ絶対にやらない宿題を背負わされて、実際に調べてみると、まあ、それなりに面白いというか、勉強にはなる。そこはそれ、天才の私のことですから、短期間にパァ~と流れが分かっちゃうんだなあ。

 要するにね、ドイツ・フランスを典型として、ヨーロッパの学校制度ってのは、言ってみれば貴族的なんですよ。エリート養成のための機関。そこへ、後になって庶民のための学校が付け加わった。だから、エリート向けの学問追求型の学校と、実業訓練を重視する庶民の学校が複線的に出来上がったと。

 ところがアメリカにはそもそも貴族がいない。最初から民主主義的な共和制国家だからね。ま、牧師養成学校として始まったハーバードとかそういうのは別にして、一般の初等・中等学校だけに限ってみれば、全部が庶民学校なわけだ。アメリカ市民の全員が等しく小学校に入り、中学校に入り、高校に行くというシステム。ヨーロッパの学校制度と比べると、その単線ぶりは顕著でありまして。

 でも、それはアメリカの国家的な理念に基づいているわけね。市民全部が平等っていう。

 だけど、単線的な学校制度には一つ、根本的な問題点がある。

 それは何かと言うと、学校システムは単線でも、生徒のニーズは多様だ、ということ。そこにどうしても齟齬が出てしまうわけね。

 そりゃそうだよね。いくら同じ年に生まれようが、ある子は頭が良くて研究者向きかもしれないけど、ある子は勉強はできないが、芸術方面での天才かもしれない。またある子は、勉強の才も芸術の才もないけど、商人としての才があるかも知れない。あるいは、何一つ才能がなくて、そもそも学校向きでない子もいるかもしれない。そんな色々なタイプの子供たちを、同じ小学校、中学校、高校に入れて、ひとしなみに扱おうっていうのが、土台無理な話。

 だから、単線的な学校制度はどこかの時点で必ず破たんします。

 で、破たんした場合、その対処法としては、単線化を複線化に置き換えることしかない。

 だから、1957年の「スプートニク・ショック」を経て、アメリカの学校制度には問題があると発覚した後、アメリカは様々な形で教育の複線化を目指すわけ。

 その一つが1970年代から80年代にかけて流行った「オルタナティヴ・スクール」の開設です。

 オルタナティヴ・スクールってのは、まあ、色々な形態があるけれども、要するに「学校内学校」みたいなシステムね。一つの学校の中に、伝統的な教育をする学校と、芸術に特化した学校、落ちこぼれ対策に特化した学校などなど、複数のプログラムを作り、そのどの部門で教育を受けるかは、生徒の側が選択する、という制度。

 で、このオルタナティヴ・スクールを実現するために考えられたのが「バウチャー制度」って奴で、まず教育委員会が各家庭にバウチャー(クーポン券ですな)を配る。で、そのバウチャーを受け取った各家庭・生徒は、自分の行きたい学校にそのバウチャーを持って行って、そこで授業を受ける。学校の側では、そのバウチャーを教育委員会に持って行くと、それがそのまま学校の予算になると。

 ま、これをやると、生徒たちは自分の好みの多様な教育を受けられるし、各学校は、一生懸命工夫をして教育プログラムを魅力的なものにしないと生徒が集まらないので、予算もなくなってしまう。そこに競争原理が働くので、教育の質も上がると。経済学者フリードマンの考えそうなことです。

 だけど、これは絵に描いた餅みたいなもので、結局、失敗に終わります。失敗に終わった理由ってのは幾つかあるんだけど、それを説明するのは面倒なので、ここでは割愛。

 で、オルタナティヴ・スクールに次いで1990年代から出てきたのが、「チャーター・スクール」という奴。

 これはね、既存の学校はダメだと思ったら、自分で新しい学校作ってもいいよ!っていう制度なのね。

 じゃあ、誰が新しい学校を作るのかというと、やる気満々の先生たちであったり、PTAであったり、地元の企業であったりする。そういう産学親連携みたいな形で、新しい理念・新しいプログラムの学校を作っちゃうというね。で、その理念とプログラムに賛同した家庭は、そこへ子弟を送り込むと。

 だから、チャーター・スクールもまた、かつてのオルタナティヴ・スクール同様、特色あるプログラムで運営されます。
 
 ただ、いわば素人が作る学校だから、期待したような成果を出せないこともある。で、チャーター・スクールは、定期的に成果を報告する義務を負うのだけど、その成果が当初の目標に到達していない場合、教育委員会や州が発行する学校設立の認可状(=チャーター)は取り消されます。だから、チャーター・スクールは、作るのも難しいけれど、維持するのも超難しい。実際、全米で1000以上(15%に相当)のチャーター・スクールが認可を取り消されております。

 だけど、認可を取り消される学校だから素晴らしい、という見方もできるのね。

 だって既存の学校って、成果報告の義務なんかもともとないからね。一旦作られた公立学校は、基本潰れない。だから、そういうところの先生で、給料さえもらえれば教育なんてどうでもいいって思っている気合ぬけぬけの先生は沢山居る。生徒はできないし、先生方は教え方を工夫しない、でも首にならないならそのままでいい、っていう感じで運営されている学校は山ほどある。

 そこへ行くとチャーター・スクールは定期的に検査の目が入るから、緊張をもって運営されるし、先生方も学校がなくなったら困るから一生懸命。それなら既存の学校よりチャーター・スクールに入れたいって思う親御さんが多くなるのも納得でしょ。

 一方、チャーター・スクールの考え方をさらに推し進めると、今度は「学校自体、そもそも要らなくね?」っていう考え方も出てくる。それが「ホームスクーリング」ね。自分の子供は、他人ではなくて、親自身が教え育てます的な。これは結構昔からある考え方だし、アメリカみたいに国土が広い国で、へき地に住んでいたりすると必然的にそうなっちゃうこともあるんだけど、これもね1980年代から段々認知されてきて、今ではほぼ全州で合法化されております。日本の大検にあたるGEDというテストに合格すれば、大学も受験できる。

 とまあ、アメリカの学校制度の歴史をざっと概観すると、「市民すべてが平等に教育を受ける権利を有する」という建国の理念に基づいて設置されたはいいものの、その平等性(単線制)を維持した中では個々の生徒のニーズに対応できないという根本的な問題が出てきて、それを解決するために「単線内複線化」という危なっかしい綱渡りを模索した、その模索の歴史なんだということが分かります。

 こんなにあっさり、アメリカの200年に及ぶ学校制度の歴史が分かっちゃうって、私の説明、天才的じゃない?

 でね、問題は、こういうアメリカの学校制度を横目で見て、さて、これを日本の学校制度の改良にどう役立てるか、ってことだよね。

 近代日本の最初のアイドルはドイツだったから、明治以来戦前まで、日本の学校制度はドイツ的な複線構造でした。国民学校を出て、中学校・高校・大学と進学するエリートもあれば、商業学校などへ行く人もあり、師範学校へ行く人もあり、どこにもいかないで社会に出る人もあり。様々な選択肢があったわけですよ。

 ところが戦後、日本のアイドルはアメリカになったので、戦後の日本の学校制度はアメリカ型の単線型になってしまいました。それも、アメリカの場合は国家理念に基づいた上での単線型だから仕方がないけれども、日本の場合はただ単純に猿真似しただけで、理念もへったくれもないわけですが。

 で、猿真似であっても、真似した以上、アメリカと同じ問題を抱えることになります。つまり、生徒は多様なのに、学校制度はひとしなみだっていう。

 だから、本来なら高校に行かなくてもいい生徒まで高校に行かざるを得ず、そこで意味も分からないのに「微分・積分」とかまで勉強せざるを得ない。となれば、落ちこぼれが出てくるのも当然ですな。そりゃ、向いてないところに行かされるんだもの、グレたくもなりますわ。

 で、そんな中、アメリカでは、単線型学校システムの中で、それでも何とか複線化しよう、個々の生徒のニーズに対応しようと努力はしている。

 さて、それで日本は? そういう努力、しているの? っていうね。

 あるいは、日本はアメリカと違って、もともと「平等」なんて国家理念はないんだから、問題の多い単線型学校制度なんぞ廃止しちまって、いっそ戦前までのヨーロッパ的な複線型学校制度に戻すっていう手もあるんじゃないのか、とかね。そんなことも頭をよぎる。

 とにかく、そういう風に、よそを見た上で我が国の学校制度を見直すっていうことが必要なんじゃないのと。まあ、今回の授業ではそんなことをお話してこようかなと。

 なんだかんだ言って、いい先生なんだよね、ワタクシって・・・。





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Last updated  July 24, 2019 05:17:44 PM
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