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『福島の歴史物語」。ただいま、「鉄道のものがたり」を連載しています。

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2013.02.11
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カテゴリ:北からの蒙古襲来
     『なまはげ』と『お人形様』

 国の重要無形民俗文化財として指定されている『男鹿のなまはげ』は、秋田県の男鹿市と山本郡三種町、潟上市の一部の集落で行われる伝統的な民俗行事で、本来は小正月の行事であった。大晦日の夜に、身の毛もよだつような丹塗の面を被り箕を着て小箱を背負い、包丁などの刃物を手にした男衆が家々を回る。家庭に押し入って子どもを脅しながら『よい子に育つように』という祈りの行事である。しかしこの恐ろしい姿から、マモーなどの恐ろしいものを具体的な姿として表現したのが『なまはげ』であったのではあるまいかと思えるのである。ちなみにこの なまはげ、他の地方でも同様の行事が「ナゴメハギ(秋田県能代市)」「アマハゲ(山形県遊佐町)」「アマメハギ(新潟県~福井県)」などと呼ばれ、いまも伝えられているという。

 ところでこのあまりにも『なまはげ』にムードが似ていて、しかもそれを連想させる『お人形様』という行事が、現在も磐城街道(三春=いわき)沿いの田村市船引町の三つの集落(朴橋・ほうのきばし・屋形・堀越)で、守り神として伝承されている。以前はこの他にも、芦沢光大寺、大越町牧野の田村市に二ヶ所、さらには田村郡三春町芹ヶ沢横台道の津島神社などにあったといわれているが、不思議とこの『お人形様』は大滝根山から北西にほぼ一直線で三春に向かって並んでいる。これの正確な起源は不明であるが高さはおよそ四メートル、各地区によって表情が違うが、この『お人形様』は大きさ風貌から言ってもなかなか迫力のあるものである。

 この『お人形様』は、久延毘古(くえひこ)を祀ったとされるが、この神はかかしを神格化したものであり、 田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や 小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった。依代 、憑り代、憑代(よりしろ)とは、神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体や場合によっては神域を示している。『屋形のお人形様』には、次の案内文が掲げられている。

        田村市指定民俗文化財
          屋形のお人形様
        所在 田村市船引町芦沢字屋形
        指定年月日  平成十七年四月十八日

  「磐城街道の五人形」または「『七里ヶ沢』の五人形」と
  いわれ、旧磐城街道沿いに立てられていた五つの大人形
  の一つで「天由布都々神」を祭神としています。

   毎年、旧暦三月十五日に衣替えと祭が行われ、この行事
  には屋形の三十六戸の人々がたずさわります。人形の高さ
  は約四米で、古い面には文化五年(一八〇八)の銘があり、
  江戸時代から続いている習俗です。

   悪疫が入るのを防いでくれます。
                   田村市教育委員会

   注 『七里ヶ沢』の『 』は筆者記入。七里ヶ沢は、
     屋形の『お人形様』の存在する地域の古名である。

 ではこのようなものを村境に置いた本当の理由はなんであったのか。

 たしかに悪疫が入るのを防ぐという主旨については分からないではないが、この地方に伝わる玄関先にある災いを避ける目刺しの頭と重複するものがある。とは言ってもたかが『こそ泥』や乞食の類の侵入を拒むのには大げさ過ぎる。するとこれは、なにか組織的なものの侵入に対してのものであったのではなかろうか。その組織的な集団とは、大滝根山に住み田村麻呂に滅ぼされたという伝説にある大武丸とその一派に対してのものであったのかも知れない。しかし面と向かって『対大武丸』と言えないことから、『対疾病』を全面に押し出し、その部分が誇張されたとも思える。

 このことを聞き回っていると意外にも「他人に言うほどのことではないので胸の中に仕舞っていたが、『お人形様』と『なまはげ』は同じ根っこかと思っていた」と言う人に何人か出会ったのである。

 ところで津島神社のある芦沢集落に住む西山忠則氏は、「芦沢に最初に入ったのは秋田から来た自分たちの先祖であるとの伝承がある。また昭和の初期にこの神社に隠れ住んでいた乞食の失火により、『お人形様』が焼ける事件があり、ここでの行事は中断してしまった」と教えてくれた。そう言われてみれば、三春は磐城街道の始点であり、くどいようだが三春から大滝根山まで、ほぼ一直線上にあるのである。やはり『お人形様』は、『大武丸』の伝承と何か関係があったのであろうか。

 私は気になっていたことを笹森氏に尋ねてみた。秋田県に残されている『なまはげ』は、蒙古軍の恐ろしい姿の引き写しの具現であったのではないかと考えたからである。

「そうですか。私は子どもの頃から理由はないのですが、『なまはげ』は赤ら顔をした白系ロシア人の姿を模したものと思っていました。幕末、日本人はロシア人を赤人と呼んだようですし、『赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)(江戸時代中期の医師・経世家である工藤平助が著したロシア研究書)』などというものもありましたからね。なるほど、なまはげは来襲した蒙古人の姿というのも説得力がありますね」




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最終更新日  2013.02.16 16:15:33
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