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カテゴリ:つれづれ
前回ブログアップしてからもう1週間経ってしまいました。
ツイッターではぼそぼそつぶやいていたりしたのですが、ブログまでなかなか手が回らず、つぶやくのもおろそかになりがちな今日この頃です。
今週は
不寛容な時代
がキーワードとなりました。
自分の価値観を押し付け、それに当てはまらない人間を徹底的に糾弾する...。
糾弾するなら 政治 だろ?!
ってときに なぜか 芸能人などのスキャンダルがクローズアップされます。
未婚の母を選んだスケート選手を糾弾して誰の得になるのでしょう?
日本人にはもはや「温かく見守る」懐の深さがなくなってしまったのでしょうか?
「少子化」を嘆くなら、シングルマザーがもっと楽に生きられる政策をした方が早いのに、何を勘違いしたか、女性を縛りつけることを目的としたような「女性手帳」の配布を目論む...。
多くの人は時代の閉塞感を感じて、無意識的にそこから脱しようとしているような気がします。
その方向性が激しく違ってしまうと、
自分の規範に合わないものを糾弾する という手段に出てしまう...。
なんとかして自分たちの 正義 を認めてもらいたい
さらには自分のアイデンティティを認めてもらいたいという承認欲求をそこはかとなく感じてしまいます。
そして、その根底には 底知れぬ欠乏感 があるように...。
在特会のヘイトスピーチ 相手に 深い関心 を抱いてなければわざわざターゲットにする必要もないわけで、
もし、彼らの言うことが仮に事実だとしたら、然るべき政治や行政の場に訴えればいいだけの話、わざわざ相手にアピールするまでもないこと。
認めて、認めて! の声が聞こえてきそうな感じです。
「世間一般の常識」を押しつけたがる人々も、
「世間様教」の信者になって、ともすれば崩れ落ちそうになる自我を防衛しているに過ぎない、
と言うのが見え見えです。
それを隠すために、
赦す 代わりに 糾弾する を選択している...。
あまりに痛すぎます...。
誰が何と言おうと、時代は確実に変化しています。
変化を認めたくない人々は存在しますが、否定して何とかなるものではなく、彼らの否定は、断末魔の悲鳴のように聞こえます。
政治にしても芸能スキャンダルにしても、
今の自分を認めてほしい そして 今の自分がみじめに感じられれば感じられるほど、
今以上の惨めさは感じたくない
となっていきます。
だから変化を嫌う。
アメリカの調査では
リベラルな人は 子どもの時から冒険心に富み 保守的な人ほど 子どもの頃の恐怖心が強い
ということがわかってます。
政治信条も結局は癒されないままのインナーチャイルドの存在に左右される、
という結果がはっきりと出てます。
政治家も例外ではない...。
聡い目で見定め決める!
今ほど人に流されるときでなく、自己選択、自己決定が重要になっている時はないでしょう。
暑い夏、選挙戦は後半になってきました。
選挙に行かないと、「選択しない」という選択でなく「現政権を無条件で支持する」という選択になってしまいます。
このままがいい、と言ってる場合じゃありません!
恐らくこのままだと 「不本意な変化」 を体験することになりそうですね。
同じ変化なら、楽しい方がいい!と思う今日この頃。
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Last updated
2013.07.14 01:05:44
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