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2015.06.25
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中根城
城址の森は分かり易いが、どこから城址にいるのか見当がつかない。道路脇に車を停めて、城址方向に近づくが、どうも個人の家への入口のようで、そこから城址へ行けるか分からない。仕方がないので、車道の坂道を下りて城址の丘の縁をまわってみた。城址への踏み跡を見つけて、よじ登った。I郭址内はまばらな木の下には下草がびっしり。かなり広い、I郭址の端には土塁で囲まれており、空堀も残っていた。縄張り図の説明のすべての個所は見ることができなかった。城址の麓は広い水田が広がっており田植えが機械で行われていた。(2015/05/14訪問)

中根城は荒谷地区の南西端にある。南側の中丸川の低地に延びた比高20mほどの台地先端を利用したもので、沢が東側に入り込んで半島状となり、独立性が高くなっている部分を曲輪Iとしている。先端の曲輪Iは長軸100mほどの郭で、周囲には一部を除き、高さ1m前後の土塁が取り巻いている。郭は台地先端部までは取り込んではおらず、Aの先端部との間には深さ2m、幅3mほどの小規模な横堀が入っている。

この横堀は南側に向かって腰曲輪となっている。堀を挟んで東側に曲輪IIがある。IIは50m四方ほどの方形の区画で、1軒のお宅の敷地となっている。ここにかつてはBの堀も存在していたが、かなり古い時期に埋めてしまったという。規模は不明であるが、「ずいぶん深い堀であった」と地元では伝えられている。曲輪IIの北側方面の土塁と堀は一部がわずかに残っているが、現状では小規模なものである。

こちら側は、台地との接合部にあたるので、かつては大規模な堀が存在したはずである。現在、城らしい区画を残しているのは曲輪I部分だけであるが、もともとは直線連郭式に曲輪を配置した城郭であった。曲輪IIの先に曲輪III
があり、Cの部分にも堀があったらしいが、耕地整理のために現在では湮滅している。 しかし以前は、下の道路工事のために斜面が削られ、この堀の一部と見られる断面部分が露出していた。中根城の城主等はっきりした歴史は分からないが、一説では佐竹氏に属した中根氏の城であったという。

しかし、現在この城内にあるお宅はみな安という姓であり、この安氏も中根城となんらかの関係があったものと思われる。また、この城は、幕末の天狗党争乱時に幕府軍によって使用されたり、第2次大戦中には旧帝国陸軍によって使用(この時掘られた塹壕や防空壕の一部は現在でも残っているという)されたりなどしている。したがって現在見られる遺構もかなり長い時代に渡って改変され続けていたものであり、旧状は必ずしも明らかでないといえる。図に描いた遺構のうちにも、幕末、あるいは日本軍によって改変された部分が含まれている可能性がある。 (余湖浩一)
*参考 『湯田市史』(茨城の城郭)





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最終更新日  2015.06.25 09:45:46
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