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私は、昭和53年4月に、神奈川県川崎市多摩区で
勤労奨学生として、毎朝3時30分起床して 朝刊を約400部配達していました。 夕刊は、約300部配達していました。 集金業務もしていました。 新規拡張販売もしていました。 月額2万円の奨学金をもらいながら、 大学に通っていました。 辛かった、辛かった。 夏は、熱かった。 冬は、寒かった。 でも、お客様からの一言 「ご苦労様」の一言で、救われました。 心が癒されました。 忘れもしません、昭和54年3月31日の夕刊配達の時です。 子供たち(小学3年生、5年生の兄弟)が、 「お兄ちゃん、このジュース飲んで~」と。 「ありがとうね、でも、いいよ。 君たちで、飲みなよ。」と言うと、 お母さまが、後ろから出てきて、 「うちの子供たちが、新聞屋のお兄ちゃんに ジュースをプレゼントしたい。 しかも、自分たちのお小遣いで買ったのよ。 どうか、お願いします。 ぜひ、子供たちのためにも、このジュースを飲んでください。」と 言われたのです。 もう、私は、涙をいっぱいに浮かべて、その場で、 ジュース たしか、オレンジジュースとピーチジュース? を一気に、飲みました。 すると、お母様が、 「しっかり、勉強して 大学を卒業してくださいね。」と言われました。 もう、涙、涙、涙で 自転車に乗って、新聞を配達をしました。 最後の一軒に、新聞を配り終えた時、 「やった~。これで、終わったぞ。」と叫びました。 父親の病気は、「胃潰瘍ではなく、末期の胃がん。 もう、3年は、生きられない。 授業料を払わなければ、いけない。 どうするか?」 と1月頃から悩んでいましたが、 大学の無返済勤労奨学金に補欠合格して 残りの3年間奨学金を頂けることになりました。 4月1日に、新聞配達所の寮を出て 行くときに、 近所の人たちからも、 「しっかり、勉強しろうよ~。」と声をかけて頂きました。 営業マンとしてのコツは、 この新聞配達で学びました。 拡張月で、 学生チャンピオンになったことみあります。 すべて、 お客様は、今何を考えているか? それを探りながら、新聞配達をしていました。 アルバイトに力を入れ始めた時です。 ある男性(当時55歳ぐらい) 長岡 正彦さんという人と出会って 気づきを得ました。 私の結婚式にも、出席してくれました。 「いいか、としあき君。 学生という字は、学んで生きると書く。 だから、勉強することが、一番だぞ。 アルバイトにあまり力を入れるなよ。 中退はするなよ。」と教えてくれました。 この長岡のオヤジさんが、私の父親代わりになってくれました。 ロコレディに入社する時の引っ越しも、 車を出してくれて、 手伝ってくれました。 故長岡 正彦さんの恩に報いるためにも、 「正直に、生きる。」心を大切にしたいと考えております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.08.07 18:57:45
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