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高校3年生時です。
担任の先生と父親と私の3人での 進路相談会でした。 佐藤先生から、「オイ、トシ坊~。愛知学院大学の推薦と駒沢大学仏教学部の推薦が出来るぞ。 どうだ~、高校の先生をやらないか? できれば、駒沢大学へ行け~。 推薦入学できるぞ~」と言われました。 ビックリしました。 学校の先生なんて、考えたこともありませんでした。 父親と帰りの車の中で、 「としあき、東京へ行くなら、授業料は、出してやるが、生活費は、自分で稼げ。 毎月、仕送りは、2万円まで送るぞ。」と言われました。 奨学金試験をいくつか受けていました。 リクルート、コカコーラ、東京中日新聞の奨学金試験を受けようと 考えていました。 全て、一次は、レポート作成。 全て、一次試験は、受かったのです。 レポートを書く体験は、はじめて出した。 2次試験は、 新聞配達勤労奨学金試験だけが、受かりました。 そして、大学受験のホテル宿泊も 新聞社持ち、受験前日に、高熱が出て 新聞社指定の病院で、治療して頂きました。 もう、頭がガンガン痛む。 何とか、何とか、試験を終えて 名古屋へ戻りました。 そして、大学は、 最終的に 東海大学政治経済学部政治学科地方行政過程 募集は、30人に受かりました。 そして、 川崎市多摩区 南武線の稲田堤駅付近の新聞販売所に配属が決まったのです。 毎朝3時30分起床。 夕刊も、集金も、販売拡張営業活動を 大学に通いながら、仕事をしていました。 給料は、毎月42,000円 部屋代は、無料。朝晩は、販売所で食事付きでした。 6畳一間。 トイレは、協働。風呂無しの新聞配達所の寮アパートに入りました。 次回へと続きます。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.02.07 10:39:42
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