四国一周お城巡り(宇和島2)
宇和島は伊達十万石の城下町として栄えました。藤堂高虎が今治に転封となったあと、伊達秀宗が1615年に宇和島城に入城。秀宗は仙台藩伊達正宗の長子。そうです、あの独眼竜正宗の跡継ぎです。しかし、秀宗は側室の子供で、正宗の正室の愛姫に弟の忠宗が生まれたことで、遠く離れた四国の宇和島に転封することになったようです。秀宗が仙台藩を継げなかった理由はもう一つあります。秀宗の名前に秀が入っているように、秀宗は豊臣秀吉に可愛がられ秀吉の秀をもらった経緯があります。しかし徳川の世では、それが仙台藩主としてはふさわしくないということで、結果宇和島への転封となったということです。ここ宇和島は大阪冬の陣での伊達家の功績に対して正宗に与えられたもので、秀宗はそこで初陣を飾ったということです。宇和島城は1671年に大修理が行われました。その時の姿が現在まで残されています。宇和島城は、松山城など今までのお城と違うところがありました。式台のある玄関や、内部に長押や建具が置いてあることなど生活感が感じられる天守内部でした。今までの天守には鉄砲狭間や矢狭間そして石落としのような敵が攻めてきたときのための武備の要素がありましたが、この宇和島城にはまったくありませんでした。戦の心配もないこの時代を反映された構造になっているということです。どこも天守の階段は急です。天守閣に上がってきました。私以外には誰もいません。重要文化財の天守を独り占めですね。柱や床の一つ一つに江戸時代の様式をそのまま感じることができます。現存十二天守の中でももっとも代表的な江戸時代の様式だそうです。天守から、本丸や宇和島湾が臨めます。宇和島の町並み、雨が止み日が射してきました。二ノ丸の方から下山します。石垣や石段に歴史が感じられます。説明文を読んでみると、この井戸は現存する三つの井戸の中でももっとも重要とされる井戸のようです。ここを井戸丸といい、井戸丸御門、井戸丸矢倉などがあって、有事のときのために厳重に管理されていたということです。別名鶴島城と呼ばれる秀麗な天守は、当時のまま残っている大変貴重なものです。宇和島城、ゆっくりと堪能できました。