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2010年8月5日の朝日新聞朝刊
「オピニオン インタビュー 白熱教室 対話の哲学 ハーバード大教授 マイケル・サンデル」より 哲学者としての彼は「1980年代に、自由や平等、機会均等を重視する思想を唱えて広い影響力があった故ジョン・ロールズ・ハーバード大教授の『正義論』を批判して脚光を浴び」たという。 そしてサンデル理論とロールズ理論の見解の決定的な違いは、次の2点だとサンデル教授は言う。 まず第一の対立点についてだが、ロールズ教授は「国家は中立ではくてはいけない。」と考え、「政治と法律をめぐる議論には道徳的な価値観を持ち込まず、中立的な正義を探すべきだ。」と訴えていた。それに対しサンデル教授は「妊娠中絶や幹細胞研究をめぐる長く激しい論争を見てほしい。(それは)道徳的、宗教的な信念を抜きにした中立の立場では解きほぐしようがない状態」であり、「すべてから中立な正義を見つけ出すのは不可能」で、むしろ「何が正義かという論争に道徳的な信念をあえて持ち込むべき」だと言う。 第二の対立点は、「個人の負っている責任のとらえ方」だ。ロールズ教授は「『各個人は従前の道徳的な束縛から自由である』と説いた。『人間が負うべき責任は当人が選んだ範囲に限られるべきだ』と」。それに対しサンデル教授は「何世代も前の黒人奴隷制の償いを現代のアメリカ白人は一切負わなくてよいのか。ユダヤ人虐殺に対する謝罪を戦後生まれのドイツ人はまったくしなくてよいのか。」と具体的に問題を提示し、「私の考える個人は、前の世代や自分の家族、帰属集団や民族といった各種コミュニティー(共同体)から多くの責任を背負っている。コミュニティーの道徳的重みを無視すべきではない。」と述べていた。 ・・・興味深いです。 特に、「個人の負っている責任のとらえ方」についてのサンデル教授の考え方が、私にとっては興味深かった。そこに属している限り、自動的にそのコミュニティーが抱えるモノも同時に背負わなくてはいけない、ということか。そのコミュニティーの中にいるわけだから。なるほど、と思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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