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テーマ:死という別れについて。(35)
カテゴリ:分類困難
胃潰瘍で母が入院しているが病院から連絡があって見に行った。コロナ感染防止対策として面会を禁じられているのでほぼ半年ぶりに見る。酸素マスクをつけられ、呼吸も苦しそうだ。今朝方血圧が下がり、対応に追われたという。
「先生からお話がありますので待ち合いで少しお待ち下さい」換気目的であろう、ガラス戸の開いた待合室で30分ばかり待たされた。「寒いでしょうから(母の)病室でお待ち下さい」心電計と血圧、呼吸数が表示されている。血圧100くらい、呼吸数は25くらいだ。 ほどなく院長から声がかかり、容体の説明を受けた。「昨日から尿が出ていません」「肺に水が溜まって肺の機能は半分以下でしょう。寝たまま撮影しているので正確な水の量は分かりにくいですが」なにさま94歳である。積極的な薬剤投与は返って死期を早めるという。いよいよ別れの時が近づいてきたようだ。 母は自分の母親(私にとっては祖母)の葬儀の後、「ある意味、ほっとしたよ。これでいつでも死ねるって。」と私に話したことがある。父が亡くなってもう20年が経つが、母にもその時が近づいてきたようだ。ひょっとしたら今日が生きている母を見る最後になるかも知れない。 「私も来週手術を受けるのですが、退院まで持ちますかね、それとも手術を延ばしてもらうべきでしょうか」「私があなたの立場なら手術を受けます。これからどうなるか分からない中であなたのために準備が進んでいます。それを崩したら次がいつになるか分からないですよ」 確かにコロナで一般診療を止めている病院が出てきている。親の葬儀よりも自分の健康を守る方が優先ですよ、と背中を押してもらった次第。うーん、生物の限界だ。退院まで待ってくれるだろうか。間に合わなかったら子供に頼るしかないな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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