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カテゴリ:ほんわか介護、認知症とつきあう
人はなぜ認知症になるのでしょう。
誰かがそれは神の贈り物といったようです。 年老いて、若いときとあまりに変わってしまった自分を直視しないですむようにとの・・神の思いやり・・ 私自身認知症の方々とおつきあいする前は不遜にもそのように思っていました。 じっさい認知症の方々とお話ししていると、判ってきました。 まったく違う人間になれるわけではありません。 自分自身が変わるわけでもありません。 別人格になるのなら、それは多重人格です。 確かに今の自分を直視していないときもあります。若い自分に戻っていたり・・若いときに戻ると言うことは嬉しいでしょうか。実年齢は高齢者のままです。鏡に映る自分をもてがっかりします。 目や耳が遠くなることが、神の贈り物かもしれません。 鏡に映る自分がぼんやり見えていれば、老いにくづかず暮らせるかもしれません。 私たちはある日突然高齢者になるわけではありません。毎日少しづつ高齢者になっていくのです。 ところが心が肉体に追いついていきません。心も若いときと同じように考えたりしているわけではありませんが、自分が高齢者になっていることを心は信じたくないものです。 いつまでも若いつもりで・・、などと言われたりしませんか。 認知症になると、肉体が老いたことに気づかず、心はその人の好きな時代のままになっています。 問題は肉体が老いたことにきづかないことです。無理をしてしまうからです。 山ほどたべてみたり、遠くまで徘徊したり・・、悪態を付いたり・・。 それが事故につながることもあります。 決して神の贈り物ではありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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