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カテゴリ:ケアマネ物語
今、家族の殺し合いが目立っています。昔からこういうことはあったでしょう。
食べていけないから間引きをする。年老いて、人頭税もかかり、食費もかかる。姥捨て山伝説です。 なぜ今このようなことが起こるのだろうかと思います。 母性は慈悲と非情が表裏にあるかもしれません。 現代においては、子供は自分の体の一部ではない。家族は自分の一部ではない。という心理的な教育が必要です。 自分の一部ではなく独立した人格であると、家族、子供、親を認め合うことが大切ではないか。 家族愛、母性愛は押しつけではなく、相手の人格を認めるところから始めていく必要があります。 自分の体の一部と思うから、殺すことも傷つける事もできる。その痛みは自分を痛めつける苦しみですが、自分の苦しみだから耐えることが出来る。 これが全くの赤の他人であれば、殺す事への罪悪感は大きいものだと考えられます。悪人でなければ、耐えられないはずです。 入れ物の話をしましたが、入れ物の前に、家族は自分の付属物ではないことを気づいてください。独立した人格です。 それを殺すことは自分の片腕をもぎ取る苦しみと同じにはなりません。 家族を失うと、よくそういう表現をしますが、それは自分の感情であり、失われた命のほうがどう感じているかは表現されていません。 この世の中は自分だけが生きていて、中心にあるわけではないと気づいてください。 そこから育児や、介護を考えてみましょう。 今日はちょっと上から物を言っているような感じですみません。 ただ、あまりにも嫌な事件が多い物ですから、どうしてかな・・。と感じていました。 教育を変えるのなら、まず人格を大切にすることを教える教育が必要です。国を愛するより、人を愛する。そうなれば自然と国も愛するようになるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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