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カテゴリ:ケアマネ物語
でも、どうしてもと相談されたときは
「そこまで追いつめられちゃったのですね」 「夜中にトイレを間違えたり、我慢できなのよ」 「トイレですか。部屋が暗いから、方向がわからないのでは・・」 「いちいち、私が起きて電気をつけなくては、いけないじゃない」 「朝早いですからね。大変ですよね。そうそう、お母様トイレが近いのは何か御病気でしょうか、お医者様はなんと・・」 「こんど、医者に連れて行きます」 「そうですね」 「もう夜中に首を絞めてやりたいと思う」 「いやいやいや、早まらないように・・。」 「もう我慢が出来ないのよ・・」 「だって殺したりしたら、刑務所にはいることになるでしょう」 「もう、何も失う物はないし。刑務所だっていい。この苦しみから逃れられるのなら」 「そうですか。そんなに・・思い詰めてしまったのですか・・」 「そう、もう我慢できないのよ」 「でも私ならやりません。だって刑務所では、晩酌ができないでしょう。私はそれがつらいなあ」 「・・・・」 あきれられたのか、お酒が飲めないのは・・・。と思ったのか、暫くそのような話はありませんでした・ でも私は忘れていません。私はその時悩んでいました。その母親は、私たちには生き生きした表情を見せるのに、介護者の前では無表情の仮面をかぶり続けているのです。 他の親戚も母親の本当の姿をみているはずです。しかしいくら説明しても話しても、娘も母親も本当の自分をさらけ出して対決することを避けてきた長い歴史。 なぜ実の母親を殺したいのでしょうか。もしこの人が母親と二人きりで、仕事もなく、親戚も兄弟もなく、医師も介護職の助けもなければ、多分本当に殺していたと思われます。 実の母親を憎んでいたのでしょうか。介護者の性格も考えられます。なんでもきちんとしなくてはいけない。完璧主義です。1日、会社で朝早くから夜遅くまで働いているのに、家の中はきちんと片付き、どこもかしこも掃除が行き届いています。手を抜くことができないのでしょう。 私のように今日できることを明日に延ばしている人間とは違います。しかしそれほど完璧主義のようには見えないのですが、なぜか家は片付いている。むろん認知症の母親はやりません。けっこうサバサバしたつきあいやすい人のように介護者は見えるのですが・・。 きっと、母親はしっかりしていなければ、という考えがあり、そこからはずれていくことが我慢ならないということでしょうか。 母親に対する若い時代からの心理的な軋轢もあるのかも・・。しれません。 そう思われても口に出すことはできません。私は医師ではありませんから言えないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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