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カテゴリ:ケアマネ物語
そうしたわけで介護保険だが、以前は福祉の措置で必要な分を行政がまかなってくれた。そのころは人様のお世話になるなんてという風潮はいまより強く、本当に困った人が行政の窓口に出かけた。
それで措置の時代のサービスを介護保険で換算すると100万円もかけた例があるなどと言われた。 確かに行き過ぎたサービスは自立の敵である。しかし介護度4、5になったらどうしてもサービスは必要な状態で、非常に重いケースは100万円はかかるだろうと思われる。 まず家族の構成員が少ない、介護の交代要員がいない。介護する人たちがみな年を取っている。 恥ずかしながら私だってそろそろ老々介護の世界なのである。 我が家も誰かが倒れれば介護、看護する人間は私一人である。私が倒れたらどうなるのか・・ それは10年前に経験済みだ・・。あの頃はまだみんな若かった。今よりは・・ もう限度の年齢にきている。 そうしたことを考えれば、介護保険の間違いは広く浅くサービスを提供するため、本当に必要な人に十分なサービスが行き渡らないということである。 介護度5であっても家族の人数がおおい。お金がある。介護のための住環境が優れている。などであると、介護保険の利用はいらないかもしれない。 実際24時間の付き添いを頼んでいるお宅は介護保険利用はベッドのレンタルのみであった。 ベッドも買ってほしいと思う。 すべての人から介護保険料を徴収するため、サービスはすべての人に広く浅くになってしまう。本当にこれが介護保険の精神だったのか・・ と仕事をしていて強く思った。 今回の介護保険の改訂は多分間違えていると思う。 確かに介護予防の精神は必要である。そして必要のないサービスで自立を妨げることは確かなので、軽い介護度の方の家事サービスは必要ないであろう。 これはケアマネージャーの裁量に任せられないか・・ なぜ、はじめの頃、介護保険は家事援助が多かったかと言えば、家政婦紹介所が介護事業所の許可を取り、ヘルパー3級の人を派遣したいからだったかもしれない。 この掃除などのサービスが介護保険を違う方向に向けていったのは自明の理である。思っていたのは夜間の排泄介助が多いことだったのに、点数的に困難なのである。 また巡回のヘルパーステーションは少ないこともあった。 見切り発車で始めた介護保険だが、介護従事者の裾野を広げないまま、いえ広げられないままここまできてしまった。 ケアマネージャーってどんな仕事をする人・・・ 実際見えてこない職業である。 従事している人はその場その場で必死なのに、振り返ってみると充実したケースの少ないことである。 困難事例をじょうずにこなして満足感を得る。というのがきっと仕事の醍醐味だと思うが、困難なのは何が困難なのかである。 必要なサービスも必要に応じて供給しても苦情がくるなどということはほとんどない。苦情がくるのはやはり足りていないからである。 これをすべてケアマネの技量と言われると、困難事例をやる人はいなくなる。 なんのために民間にといったのか。 ケアマネ業務は行政の仕事ではなかったのか。それなら行政の担当者をなくせばいい。ケアマネの権限を行政の力と同等にすればいいのにとよく思った。 しかしケアマネもいい人ばかりではないし、力量も問題である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.19 17:27:49
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