|
テーマ:今日のこと★☆(104031)
カテゴリ:国家破産を生き延びよう!
私は、パニックをあおるつもりはありません。
が、できるだけ多くの人に国家破産に備えてほしいと思っています。現時点での国家破産の確率は、95%以という人もいるし、いや、小泉政権は最近、本気で破産回避策を取りはじめてきたから、もしかして回避できるかも知れない。 という人もいます。 もちろん、中には、もはやこれまで…とパニックをあおるような人もいます。 ずっと、ある方の著作を、善意と信じて追いかけてきた私は、最近、首をかしげるようになりました。 「この方は国家破産を待ち望んでいるのでは?」 と疑いはじめてきたからです。なぜなら、彼は知りえた知識情報を基にして、すでに国家破産を期に、一気にスーパーリッチになる準備を整えているからです。つまり、国家破産は彼にとって千歳一遇のチャンスだというわけです。 彼の予測する日本社会は、一部の金持ちを頂点とした階級社会。 それを必然の流れとして私たちに防衛を説きながら、なぜか、彼の言動には”自分を利するもの”を感じてしまいます。彼が著書で有望だといった株は、人気加熱状態で株価は高騰。結局、早期にその株を買った彼が得をしています。 そんな彼が、「株式評論家が、優良株として100の銘柄をあげて3つ4つ上がったからと言って、当たった!! と言うのは非良心的だ。それより本当にいい株を2つ3つ紹介するべきだ」と言ったので、私は首をひねりました。 彼の著作を読み、推奨する株を素人が買って”某株はバブル状態”です。(バブルか否かを算出する公式があってそれが経済サイトに書かれていたので、それに当てはめて計算してみました。今、パソコンの初期化で(調子が悪かった)そのサイトが分かりませんが、その人気加熱状態を50の数字で表すとしたら、その株は私が計算したときで、59。欧米の投資家など、プロはけして手を出さない数値にまで上昇しています。 そんなことも知らない、彼の著作だけを信じてその株を買った素人が、バブルで失敗するのを彼は考えたことがあるでしょうか? (そのとき、彼はきっと売り抜けるに違いありません) 彼が、ずっと超優良ファンドとしてその名を伏せていたファンドも、規模が大きくなり、そのファンド自身の買売によって株価が上下するようになり、利益率が下がってから公表する。。。。おそらく”クアドリガ”という驚異的な利益率をたたき出すファンドの公表も、一般市民が買えない価格、もしくは、自分がすでに買っていてそれ以上はキャンセル待ちと知っての公表ではないかと疑ってしまいます。 ずっと、経済サイトを回っていて悲しかったのは、国家破産で自分だけは儲けよう、助かろうと言う意識でした。 ところが、 嬉しいことが起こりました。 私は以前、 「残念ながら顧客にはなれません」 と情報を売るサイトの管理人さんにメールしたのですが、その管理人さんは私のメールに心を動かされ、小金持ちではなく、本当に困っている人の力になりたいと行動を起こし始めたそうです。 「見ていてください。お金がかかることなので、まず、自分が試してからですが、一般の人の助けになる情報を流しますから…」 と。 私は何もしていません。 でも、彼にメールを送った多くの人たちに心を動かされていたところ(=本当に困っている人の役に立っていないと言う気持ちになっていた)、私が送ったメールがとどめとなった(=彼の言)そうです。 きっと、 彼は本質的に優しい人だったのでしょう。 それで、 「国家破産で困る人が少しでも減るように、これからも皆さんを啓蒙してください」 と言う私の言葉に呼応してくださったのでしょう。 嬉しい。。。。 嬉しいです。 生きている間は本当に短いです。その間、私たちはどれだけのお金を使えるというのでしょう? たかが一個人に使える金額はしれています。その使える金額の違いがどれほどだと言うのでしょうか? 1兆円と言う数字を使うには”石器時代から1日100万円使うとして4000年以上かかる」そうです。だのに、たかが100年やそこらしか生きない人間に、どれほどのお金がいると言うのでしょう? 確かに、子孫がお金持ちでいてくれたら私も安心でしょうが、それ以上に心やさしい人でいてくれたら安心です。いずれ人間に寿命が来て神さまの前に立つとき、もしくは、この世を去るとき、自分と言う存在に胸を張っていられる人はどれだけいるでしょうか? 旧ソ連において、 生殺与奪の権をにぎり、誰もが彼に反対し得なかったスターリン。ある意味で富と栄華を極めた彼は、死に至って絶望を経験しました。 ソルジェニーツィンの記述が確かであれば、(私は彼以外でも何度かその話を聞いていますが…うろ覚えです)彼、ヨシフ・スターリンは一度死んで地獄の底をのぞきました。(なぜだか分からないけれど、生き返ったらしいのです) そのとき、彼が言った言葉は、 「もう、終わりだ!」 か 「もう、ダメだ!」 です。(忘れました。ソルジェニーツィンの収容所群島を読めば書いてあります) つまり、 彼は何者かによる自分の邪悪な人生への報復を察したのです。 それから、もう一度死んだのです。 ………こんな人生に魅力はあるでしょうか? その反対に、 私はこれ以上ないほどの清らかな死を知っています。彼女の麗しかった人生を私はけして忘れないし、神さまも家族も忘れないでしょう。 私は、もし、国家破産が起こったら、それは千歳一遇のチャンスだと申し上げます。 それは、私たちが親切になり、人々に奉仕し、助け合い、自分に誇りを持って人生を終われるチャンスだと申し上げます。 国家破産がいつくるのか、果たして、回避できるのか、私などには知る由もありません。 でも、これだけは言うことができます。 そのときが来たら、助け合いましょう。 そのときのために備えましょう。 そんなときにも希望を持って生きましょう。 うつ病で、いつ死んでもおかしくない人間の言う言葉ではありませんが、私はあえてそう言いたいです。 次は、もうちょっと具体的な話です。(国家破産については、カテゴリにあります) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Oct 15, 2005 12:54:54 PM
コメント(0) | コメントを書く
[国家破産を生き延びよう!] カテゴリの最新記事
|