ぢぢさま、戦後を語る 3
伝説の名キャラぢぢさま語録。時代を経験した人以外には語れない貴重な証言です。 384 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/16(金) 17:30>372 これこれ、あぶないことを言いだすでない。 ぢやが、聞いてくれるというならば、つづきをお話しよう。 時代の風潮もあっての、当時の二世には韓国籍であっても左翼か ぶれが多い上に、日本で生まれて言葉から衣食住まで、三世、四 世のように頭のてっぺんまでも、とはいわずとも、首まで日本文 化に浸かっているのに、それでも国籍は日本ではない、という境 遇にの、少々性格がひねくれてしまった者もおおいのぢゃ。 鮮人の悪評判やらわけのわからん立場などというものは、先代の 連中が作り出したものぢゃで、まだ高校を卒業するかしないかく らいの若者にとっては、さぞ不条理であったろうて。 ぢぢなどはな、この当時のひとりひとりの鮮人の少年達にはむし ろ同情するくらいぢゃよ。 もっともこの当時の少年もいまでは50のむさいオヤジぢゃで、 面とむかえば、いまではあまり同情する気もおきんぢゃろがの。 さて、差別ぢゃと訴えられた日立はびっくりしての、正面から永 住権を持つ鮮人であることを前提に受験したのならともかく、履 歴書に嘘を書くような人物は信用できんと採用を取り消したのに、 在日鮮人は差別されているから、履歴書に嘘を書いてもよいのだ と訴えられ、おまけに、一審で負けてしまったでな。 (昭和49年、横浜地方裁判所) 日立にすれば、理不尽な話ぢゃが、従業員10万人の大企業で、 世界を相手に商売しておるのに、実際の内容はともかく「民族差 別の日立」などと宣伝されては信用に傷がつくで、泣く泣く上告 を諦めてこの鮮人を雇ったのぢゃよ。 385 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/16(金) 17:31あとは、解雇するわけにもいかんで、そのままぢゃ。いまも勤め ておろうかの。 いまでも、民団などの鮮人団体は「日立就職差別事件」やら「日 立民族差別事件」という呼称を使っておるわ。 ぢぢなどには、現に勤めておる会社の信用を貶める言辞をやめよ うとしない、この鮮人どもの感覚がわからんの。 さて、この裁判に思いがけず勝ってしまったことが、はたして吉 ぢゃったか、凶ぢゃったか、判断のむずかしいところぢゃ。 そもそも、日本の企業に入れてくれという裁判を起こすことや、 たとえ共産党ではないにせよ、どう見ても左翼の連中と付き合う ことに、韓国籍の親たちは反対しておったからの。 裁判に勝ったおかげで、このあと、韓国籍の増えた在日鮮人二世 や三世の連中と新左翼くずれの人権派が結びつくことになったで の。 ま、こういった社会運動をやっておったのは、みながみな困った 連中ということではないのぢゃが、こういった運動にもぐりこん だ左翼くずれは、手練手管にたけておっての。事務局を乗っ取り、 純真な連中に怪しげな理屈を吹き込むもので、すぐに人権運動が 反政府運動やら反日運動にすりかわるのぢゃよ。 これが、今日につづく、対決的な在日鮮人の権利獲得運動のはじ まりぢゃ。 やれやれ、ずいぶんと話が長くなってしもうたわ。すまぬの。 437 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/17(土) 20:38>400,412 これこれ、なにを勘違いしておられるのぢゃ。 わしはの、ただのぢぢいぢゃ、なにも特別のことを知っておるわけ のものではない。 天下の機密情報などを存じておるわけもなかろう。物知りなどと持 ち上げられれば、悪い気持ちはせんが、あまりにかいかぶられるの は、ちとのう。 さてさて、どうせ、本題からはずれにはずれた脱線ついでぢゃて、 このころ朝鮮籍に残った鮮人どものこともお話しておこうか。 朝鮮籍から韓国籍に切り替え、永住権を取得したものが多数派にな ったあとでも、北鮮を支持するものはまだまだ、4割から3割ほど も残ったのぢゃ。 少数派になった北鮮支持派の拠り所はの、北鮮そのものの存在と朝 鮮人学校ぢゃったよ。 この連中には、北鮮の選挙権もあり、総連の幹部ともなれば北鮮の 国会議員などに相当する地位にもなれるのぢゃ。 つまり、日本にいながら、北鮮の国民、当人たちは共和国公民と言 っておったが、として日本社会とは経済活動以外はなるべく関わり をもたずに暮らそうということぢゃろう。 朝鮮人の学校については、戦後間もない頃からあれこれといざこざ があっての、鮮人どもがそのあたりの公立学校の校舎を勝手に占領 して朝鮮人学校にしてしまったのが発端で、警官が追い出そうとす ると、何千何万の鮮人が集まって騒いだでの、神戸などでは、進駐 軍の憲兵隊、MPまで出動するような騒動まであったの。 438 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/17(土) 20:38教育熱心といえば、熱心なのぢゃが、韓国系の学校はごく少なくて の、韓国籍の子弟の大半は日本の学校に通うことになるのぢゃ。 朝鮮籍子弟であっても、近くに朝鮮人学校がなければ同じぢゃの。 この日本の学校にいった連中はな、通名といって、朝鮮人の本名で なく、みな日本人風の名前を名乗っておった。 ぢゃから、同じ学校に鮮人が通っておって、教師は心得ておっても、 生徒のほうは知らぬままのことが多かったのぢゃよ。それどころか、 鮮人の生徒もどうかすると、同じ学校に別の鮮人がおってもわから ぬことすらあったのぢゃ。 さて、朝鮮人学校のほうはといえばの、当時の朝鮮籍の鮮人が立て 前としては、いずれ北鮮に帰国するということになっておったで、 なるべく北鮮の学校と同じ教科や授業をおこない、北鮮の国民とし ての教育をほどこしておったのじゃよ。 北鮮側の言い様では、共和国在外公民教育とか称しておったの。 今では、民族教育の権利がどうのという論を持ち出すものがおるよ うぢゃがの、なんのなんの、少数民族の文化継承のための教育など ではないて、在外公民教育、例えて言えば、米国在住の日本人子弟 に日本国民としての教育をおこなう学校が、米国の教育制度と関係 がないのと同じでの、日本国の教育制度とは縁もゆかりもないこと なのぢゃよ。 さて、表向きでは、朝鮮人学校で共和国在外公民教育を受け、日本 の政治や社会などには関わることなく、ひたすら、北鮮、いやいや 統一朝鮮に帰国する準備をしていることになってはいたのぢゃがの、 一歩学校を出れば、そこは日本ぢゃ、なかなか、身も心も北鮮人に なりきるのは難しかったろうて。 439 名前: これもぢゃ 投稿日: 2000/06/17(土) 20:40帰国船さわぎの、ちと具合の悪いうわさにもかかわらず、北鮮を祖 国ときめこんで朝鮮籍に残った鮮人の胸の内はなかなか推しはかる ことのむずかしいものがあるがの、一種の宗教と考えればさほど不 思議でもないかの。 ほれ、親鸞聖人が弟子に「いくら念仏を唱えても、早くお浄土に往 生したいという気持ちが湧いてこないのですが」と問われて「そう か、おまえもか、実はわたしもそうなのだ」と答えたという有名な 話があるぢゃろ。 「お浄土に往生」とは結局のところ死ぬることぢゃで、親鸞聖人様 とて念仏しながら極楽往生は願っても、すぐにお迎えが来ることは 望まぬということだの。 鮮人どもにとっても、祖国統一を祈願して金日成に万歳を唱えるこ とと、実際に北鮮に暮らすことは別物ということなのぢゃろうて。 なに、親鸞聖人を知らんとな、それはよろしくないぞ。 ぢぢは門徒ではないが、親鸞の事蹟などは心得ておくのが心掛けと いうものぢゃ。 ふむ。なにやら話が抹香臭くなったか。こりゃいかんの。 あとの話は、またつぎのこととしようかの。