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私:神里達博教授は、森友学園との国有地取引に関する決裁文書の事件が明るみに出る寸前に国会を揺るがしていた、「裁量労働制の拡大」の問題について考えたいとしている。
政府は、比較のできない数字を使って国会答弁を続けていたとして、強く非難された。結局、「裁量労働制」の対象拡大は、今回は断念することになった。
A氏:そして3月2日の朝日新聞の報道から、公文書の書き換え問題に社会的な注目が集まっていくわけだが、その2日後、もう一つ重要なニュースが報じられている。
それは、当初政府の答弁では、「裁量労働制」の違法適用の取り締まりの具体例として、不動産大手の野村不動産に対する「特別指導」を挙げていたが、これは、同社の50歳代の男性社員が「過労自殺」し、遺族が労災申請をしたことをきっかけに行われた指導であったことが判明したもの。
私:同社は、全社的に「裁量労働制」を違法に適用し、この男性社員もその中に含まれていたといい、現行制度ですら、働く人を守る上で不備があることが暴露された。
「過労死」という言葉が使われるようになってから、すでに約40年が経つが、依然としてなくならないと神里教授はいう。
その原因を神里教授は、江戸時代からの農業労働をもとに奨励する倫理観が歴史的に日本社会の深いところに浸透したと見ている。
A氏:特定の社会における倫理観は、文化や宗教のみならず、社会経済的な要因など、さまざまな要素から形成されると考えられ、いったん、倫理観が人々に根付くと、社会的な条件が少々変わっても、倫理自体は簡単には変容しない。
日本社会の勤労についての倫理観も、後に工業化の段階に入っても保たれ、現在にまでつながっていると考えられると神里教授は言う。
さらに、神里教授は、問題は、現代の日本が、単に労働時間を長くすれば豊かになるというような段階を、とうに越えてしまっていて、先進国となって久しい今、重要なのは、より付加価値の高いモノやサービスを効率よく生み出すことであって、労働時間をいたずらに長くするのは、当然、経済的にも不合理であると指摘する。
私:それは当然だし、だから、日本社会の勤労についての倫理観も、後に工業化の段階に入っても保たれ、現在にまでつながっていると考えられるなどと呑気に言っておられないね。。
だから、先進国に追いつけと高度成長期が始まる前から、「時間短縮運動(時短運動)」が始まった。
日本は週6日制から、隔週5日制、そして、週5日制と短縮していったね。
俺たちはその変化の真っ只中で働いてきたわけだ。
そして当然、増える仕事量を短時間でこなすために無駄を省き生産性をあげてきた。
今も先進国G7のうち、生産性では日本は最低だというが、それは日本社会の勤労についての倫理観のせいではないね。
ある日本で仕事をしていた人が、ドイツに出向して、驚いたのは、ドイツ人の仕事にムダがなく、効率的だったという。
A氏:「長時間労働」は生産性を無視した労働の結果だね。
「働き方改革」とは、「カイゼン」のプロを育て、「長時間労働」をしているような仕事を分析し、ムダを省き、効率化して生産性をあげ時間を短縮することだね。
私:「長時間労働」は生産性を向上するためのいいネタを提供しているわけだね。
ネットで、伊藤忠商事のオフィスワークの時間短縮例が載っていた。 それによると、
「メールの応答も以前は1件読んだ後、別のメールも読んでしばらく考えてから返答していたが、1件ごとに読んだらすぐ返信するように変えた。そうすると相手の返答も早まり、物事が早く進む相乗効果が生まれた。仕事の進め方を見直すことで、感覚値としては「1日8時間かかっていた仕事が6時間でできるようになった」 とある。
これは「トヨタ生産方式」でいうと「1個流し」の「カイゼン」方法のオフィスワークへの応用だね。
神里教授が指摘する日本社会の勤労についての歴史的な倫理観とは無関係だね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.16 17:18:17
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