ヨグマタのメルマガからお借りしてきました。
今のわたしにぴったりだなと。
人を裁かず、幸せを祈る
ヒマラヤ瞑想を続けていると、好き嫌いの感情が薄れ、苦手意識が消えて、大きな愛に包まれます。
ですが、修行の過程で、
「本当に不道徳な人に出会ったら、やはりムッとします」
「あまりにも理不尽な仕打ちをうけて、黙っていられません」
このように訴える方もいらっしゃいます。
しかし、感情のままに反応すると、自分のエネルギーが汚れてしまいます。
「この人が幸せになりますように」と、謙虚に相手の幸せを願い、祈りましょう。
この世界に存在する生きとし生けるものは、すべて神様がお創りになりました。
木も草花も、人も動物も、ひとつひとつ違いますね。
曲がっている木もあれば、真っ直ぐ天を目指している木もあります。
人目をひく大輪の花もあれば、地面に張りつくように咲く小さな花もあります。
華麗に咲き誇る花もあれば、ひっそりと咲く花もある。
それは、花の生まれ持った資質です。
しかしそのすべてに、美しさがあることにかわりはありません。
人間にも同じことがいえます。
人のカルマや個性によって、生き方も存在感もまちまちです。
いつもリーダーとなり、周囲を引っ張っていく人もいます。
気が利いて、サポートに回る人もいます。
あるいは、そこにいて何にもしないのですが、安心を与える存在の人もいます。
また、ミスばかりしてみんなに心配をかけるのですが、憎まれない性格の人もいます。
どんな人も、それぞれに自分なりに懸命に生きているのです。
ひとりひとりにふさわしい咲き方をしているのです。
そこに敬意を払うと、あなたも敬意を払われるようになっていくでしょう。
どんな人にも、その人の抱えた事情があります。
たとえば、マナー違反をされて、あなたはとても腹が立ったとします。
でも、その人にはそうせざるを得ない理由があったかもしれません。
また、単に今まで常識やマナーを教わってこなかっただけかもしれません。
人の生き方は、あなたと同じではありません。
だから、相手を裁かず、「みんな、それぞれがんばっているな」ととらえるのが、一番いいのです。
どんなときも、常に相手の幸せを願い、みんなの幸せを祈ることが、瞑想的な生き方です。
それが行動のメディテーションなのです。
〜ヨグマタ
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大きな失敗をして、落ち着いたと思っても
不安は、不安を増幅させます。
どうしよう。
そんな時、この行動のメディテイションを目にしました。
そうだ。
今は、祈るしかない。相手の幸せを祈ろう。
私はレイキマスターだ。
忘れがちだけど。。
自分を光に包み、家族を光に包み、住居を光に包み、
なくした私の分身たち、そちらにも光を。
「常に相手の幸せを祈り、みんなの幸せを祈る」
いまは、謙虚に、感謝して生きる。それに集中しよう♪