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みかんの木を育てる-四季の変化

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2016年09月11日
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カテゴリ:チョットひと旅

最上川をくだる、鶴岡への旅 その3

9月5日から7日に、山形県の鶴岡へ行ってきました。
庄内平野は、一面に黄金の稲穂が垂れ下がってました。
鶴岡公園で、庄内藩の歴史と藤沢周平記念館を見てきました。

そして鶴岡市からバスで、最上川の古口船番所へ移動しました。

写真: DSC_0050

古口には、戸澤藩の船番所があったそうで、
船下りは、そこで船に乗って最上川をくだります。

写真: DSC_0054

船番所の入り口にあった案内板です。
峡谷で陸路がなかったため、奈良時代から大正初めまでは、船が交通手段だったというんです。

確かに、ふだん目にしている川とは、だいぶ違います。

写真: DSC_0059

浅瀬や急流もあるし、深いところでは水深が9メートルもあるというんです。
もちろん昔はエンジンなんて動力はありませんから。
竿も底に届かなくなりますから、急流を漕いで、渡り、下ったんですね。

いったい、川を船がさかのぼる時はどうしたんだろう。
今は、スクリューエンジンで登ってましたが、
むかしは、それはありませんから、たいへんだったでしょうね。
ボルガ河なら、船ひきをしている様子の絵がありましたが。
ここはどうだったのか、聞き損ねました。

今は観光船の船下りで、あたりの景色や、舟歌の、
船頭さんの名調子を楽しんで、時間がたつのを忘れてしまいますが。

写真: DSC_0065

江戸時代には、松尾芭蕉もここをくだったというんです。
 五月雨をあつめて早し最上川

ところどころに、長い首をしたカワウをみかけました。

船頭さんは、方言の豊かな名調子なんです。
それで、舟歌や、まわりの景色、船運の歴史など、いろいろ解説してくれました。

写真: DSC_0058

この日の天気は、曇りでしたが、雨はふらず。
陽気としては、前日の暑さを引いていたんですが、
川風がここちよく吹き付けてくれていて、
自然のクーラーというか、涼しさを楽しませてくれました。

途中、川の対岸には、「仙人堂」という神社がありました。
芭蕉も、そこに寄ったそうです。
この最上川は、川を流れくだる分にはまだしも、
この川幅と、深さ、流れの速さを、船でこいで渡るというのは大変なはずなんですが。

写真: DSC_0063

しかし、生活にねざしていたんですね。
そうした川を往復する技術を持っていたんですね。

また、途中には、高い滝もありました。

写真: DSC_0068

木に滝が隠れてますが、だいぶ上から落ちてきてました。

最上川は、上流の米沢の方から、河口の酒田まで、船で行き来していたそうです。
内陸部にあった徳川幕府の天領のお米も、諸々の生活物資も、もちろん人も、
この最上川を使って運ばれていたんですね。

この日は、初秋でしたが、生活交通ですから、当然真冬であっても通っているわけで、
雪が降っている中でも、その寒さの中を、船を漕いでいたんですね。
もちろん川止めは、あったと思いますが。
(今も観光船は、12月から3月のあいだは、「こたつ船」だそうです)。
船番所というのは、関所だったんですね。

以上で、今回の鶴岡への旅の紹介は終了です。

私などが、一年を通して、日常の八王子-真鶴間を離れるのは、唯一この旅くらいなんですね。
今回も、主宰者がよく準備してくれたおかげで、
米どころの庄内平野と、鶴岡の歴史と文化について、たいへん貴重な、刺激的な旅となりました。
だいたい日本海側を旅するなんてことは、日頃の生活からしたらありえないことなんですが、
しかし時にこうした機会をもつことは、逆に日常の生活を知る上でも大切なことだと感じました。

 






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Last updated  2016年09月11日 11時24分54秒
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