最上川をくだる、鶴岡への旅 その3
9月5日から7日に、山形県の鶴岡へ行ってきました。
庄内平野は、一面に黄金の稲穂が垂れ下がってました。
鶴岡公園で、庄内藩の歴史と藤沢周平記念館を見てきました。
そして鶴岡市からバスで、最上川の古口船番所へ移動しました。
古口には、戸澤藩の船番所があったそうで、
船下りは、そこで船に乗って最上川をくだります。
船番所の入り口にあった案内板です。
峡谷で陸路がなかったため、奈良時代から大正初めまでは、船が交通手段だったというんです。
確かに、ふだん目にしている川とは、だいぶ違います。
浅瀬や急流もあるし、深いところでは水深が9メートルもあるというんです。
もちろん昔はエンジンなんて動力はありませんから。
竿も底に届かなくなりますから、急流を漕いで、渡り、下ったんですね。
いったい、川を船がさかのぼる時はどうしたんだろう。
今は、スクリューエンジンで登ってましたが、
むかしは、それはありませんから、たいへんだったでしょうね。
ボルガ河なら、船ひきをしている様子の絵がありましたが。
ここはどうだったのか、聞き損ねました。
今は観光船の船下りで、あたりの景色や、舟歌の、
船頭さんの名調子を楽しんで、時間がたつのを忘れてしまいますが。
江戸時代には、松尾芭蕉もここをくだったというんです。
五月雨をあつめて早し最上川
ところどころに、長い首をしたカワウをみかけました。
船頭さんは、方言の豊かな名調子なんです。
それで、舟歌や、まわりの景色、船運の歴史など、いろいろ解説してくれました。
この日の天気は、曇りでしたが、雨はふらず。
陽気としては、前日の暑さを引いていたんですが、
川風がここちよく吹き付けてくれていて、
自然のクーラーというか、涼しさを楽しませてくれました。
途中、川の対岸には、「仙人堂」という神社がありました。
芭蕉も、そこに寄ったそうです。
この最上川は、川を流れくだる分にはまだしも、
この川幅と、深さ、流れの速さを、船でこいで渡るというのは大変なはずなんですが。
しかし、生活にねざしていたんですね。
そうした川を往復する技術を持っていたんですね。
また、途中には、高い滝もありました。
木に滝が隠れてますが、だいぶ上から落ちてきてました。
最上川は、上流の米沢の方から、河口の酒田まで、船で行き来していたそうです。
内陸部にあった徳川幕府の天領のお米も、諸々の生活物資も、もちろん人も、
この最上川を使って運ばれていたんですね。
この日は、初秋でしたが、生活交通ですから、当然真冬であっても通っているわけで、
雪が降っている中でも、その寒さの中を、船を漕いでいたんですね。
もちろん川止めは、あったと思いますが。
(今も観光船は、12月から3月のあいだは、「こたつ船」だそうです)。
船番所というのは、関所だったんですね。
以上で、今回の鶴岡への旅の紹介は終了です。
私などが、一年を通して、日常の八王子-真鶴間を離れるのは、唯一この旅くらいなんですね。
今回も、主宰者がよく準備してくれたおかげで、
米どころの庄内平野と、鶴岡の歴史と文化について、たいへん貴重な、刺激的な旅となりました。
だいたい日本海側を旅するなんてことは、日頃の生活からしたらありえないことなんですが、
しかし時にこうした機会をもつことは、逆に日常の生活を知る上でも大切なことだと感じました。