「文学と世界観」(蔵原惟人著)を読んで
この小論は、『勤労者文学』の1949年1月号に掲載されたものだそうです。
『蔵原惟人評論集』第3巻.芸術論三におさめられています。
私などが目にしたのは、『文学への思索』(新日本新書 1972年8月刊)によります。
ずっと、ほこりをのせたままできてしまいました。
今回、「文学と世界観」を、初めて読んだんですが。
「文学と世界観」は、1949年に書かれた小論です。
それが1972年刊行の新書に、ふたたび採録されたわけですが、それを納得します。
発表されて20数年をへても、なおかつその論文が新鮮な意義を持っていたんですね。
私などにとっては、68年を経た今においても、新鮮なものとして読んだわけですが。
ただ本をもちあるっているだけではだめなんですね。宝の持ち腐れです。
もっと早く読んでいれば、もう少しは、文学の世界も違って見れていたでしょうに。
ときにもやもやしてくすぶっていた事柄も、
幾分なりとすっきりとさせていくためのヒントが、ここにあったでしょうに。
この「文学と世界観」の内容を簡単に紹介します。
P21から48の28ページで、5つの節からなっていますが。
一、世界観とは何か。何故、最近(1949年)文学と世界観が問題になったか。
プロレタリア文学運動での、唯物弁証法的創作方法という問題。
そらに、1933-34年頃の社会主義リアリズム論について。
二、エンゲルスのバルザックのリアリズム論。1888年ハーネスへの手紙。
傾向性は、特別な心づかいからでなく、情勢と事件からおのずと生まれてくるものである。
三、複雑多岐な状況を、その真の姿をつかむ上での世界観のもつ意味、役割。
四、当時(1949年)の、太宰治、椎名麟三の作品がもっている世界観。
五、近代文学のなかから批判的リアリズムがうまれた。世界文学の古典のもつ成果。
そのよい伝統を、日本でもプロレタレア文学、民主主義文学がすすめようとしている。
以上。
ここでは、一つ一つが問題が、ほんの事項紹介くらいしかできません。
じかに、そのものに当たってほしいのですが。
それは、現代を考える上でも、検討されるべき問題だとおもいます。
だいたい、ある作品を理解しようとする時に、
それをどの様に評価するのか、評価の基準が問われます。
その方法を明確にしていくことと、対象の理解とは、メダルの裏表だと思います。
しっかりと方法をもつことは、対象をより広く、深く速くとらえれるようになると思います。
それに、現代の歴史性をつかむには、近代の思想の流れを、大まかにでもつかむ必要があります。
蔵原惟人氏の業績というのは、この小さな論文からしても、
私たちにとって、大事に学んで、今日に生かすべき内容をもっといると感じました。