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2019年02月24日
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​『夢よ、甦れ―もう一つの学びの道―』(下谷竹三著)​

先日、伊東四朗のNHK「ファミリー・ヒストリー」を見て驚かされました。
その番組の最後に、兄の伊藤豊次氏の写真と弟へ寄せた新聞投稿が紹介されていたんですが、
伊藤豊次氏は、50年前の、私などの中学校の恩師だった人なんです。

以前、私は2016年11月9日のブログで、伊藤豊次先生の著作『夢よ、甦れーもう一つの学びの道―』(近代文芸社 1995年刊)を紹介したんですが。先生はそれから程なくでしたが、亡くなられたんですね。
あらためて、この遺作を読み直してみました。



この本は、先生が初めて教師として着任したのが神奈川県の真鶴中学校だったんですが、そこにいたる生い立ちから、小学校を出ただけだった先生が、生活と学業の様々な苦労をして、教師になるまでのことが書かれていました。

その教師になって最初の教え子が、1966年に真鶴中学校を卒業した私たちだったんです。
先生に教えていただいたのは2年間、なにしろ15-6歳の悪ガキたちですから、50年前のことですから、たいしてはっきりした記憶が無くても当たり前と言えば、当たり前なんですが。
伊藤先生に関しては、なぜか、強い印象が残っていたんですね。
社会科の担任でしたが、その授業は面白かった。一般にありがちだった暗記中心の授業とはちがって、生徒自身の率直な意見・感想を議論していく中から、ものごと・出来事の必然性が得心してくるといった授業で、たいへん活発で終わりの時間がたちどころに来ちゃうような授業だったんです。
もちろん、当時は何故この授業が面白いのか、どこが違うのかな、生徒にはわからなかったんですが。

今や私なども68歳、先生がこの本を書かれた年頃を過ぎたわけですが、今回あらためて読み直してみて、いくつか分かることがありました。
一、1931年生れの先生が、初めて教師になって赴任したのが、1965年の私たちの真鶴中学でした。
当時、先生はいろいろと苦労して這い上がってきて、先生としては遅咲きの先生だったんですね。
ご自身が「ビリート」だと自称してましたが、生徒が学んでいく上でどこのところでつまづいているのか、言葉でつまずき、暗記量を競う様なあり方への問題意識など。それは先生自身の体験からして生徒のつまづき情況がよく見えていたんですね。

二、1995年にこの『夢よ、甦れ』を刊行したということは、実際の現場は30年前のことなんです。先生が定年退職のころになってまとめられた、先生の「青春篇」の自己分析だったわけです。たまたまですが、私たちがその最初の教え子だったという関係にあったわけです。
『夢よ、甦れ―もう一つの学びの道―』とのタイトルは、現状の教育の在り方に、先生なりに何が教育として大切なのか、先生の教育論を示唆したものとして、今回読まさせていただきました。
それがどのような教育論の流れのなかから出てきているのかは、素人の私などにはまだよくわかりませんが。先生に直にたずねることは出来なくなってしまったんですが。

三、ここからは、私などの勝手な主観的意見ですが。
私などは1969年頃でしたが、高校・大学は「学園の民主化」ということが社会的に問題になりました。受験中心の教育の在り方が、そもそもの教育のありかたが問題にされた時期がありました。私などもそこをくぐってきたんですが。そうした中で幾分かは民主的改善もあったかもしれませんが、だけど問題の多くは氷の上を滑っただけで今でも旧態然として、さらにもっと輪をかけて続いている。ひきつづきそれが上から若者たちに押し付けられている。そんな風に思えて仕方が無いんですが。

だいたい、近代の中で夏目漱石が『私の個人主義』を語った事情、また敗戦直後に宮本百合子が『歌声よ、おこれ』を書いたところの課題は、その問題・課題は、依然として私たちの前に立ちはだかっているるんじゃないでしょうか。
先般も有事立法が強行され、内閣総理大臣たるものが憲法改悪を主導している、こうした背景には、単に政治の舞台だけの問題でなく、日常の社会的基盤のなかにも、それを許すような土壌があるということだとおもうし、その土台をもみすえた変革が求められている。私などはそう思います。
そのためには、頂上の中心点を批判するだけでなく、それを可能にしているすそ野での支え手、現れについても分析する力が、一人ひとりに求められている、そう思うんですね。

最後の部分、この蛇足は、今回の焼香とは関係ないんですが、
私などなどとしては、日本の近代には、民主主義的変革の問題ですが、歴史的にはたそうとして果たせていない諸々の課題があるし、それが今日に形をかえて噴出してきている。中心点をかえる中で、そのすそ野をも変える仕事が、それぞれの所にあるとおもうんですね。
「行動の指針」を大事にするというのは、「ディレッタンティズム」批判というのは、その自主的批判的態度をつくることに関係していると思うんですね。






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Last updated  2019年02月24日 21時47分12秒
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