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みかんの木を育てる-四季の変化

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2022年03月06日
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​『経哲手稿』18 マルクスのヘーゲル哲学批判を学ぶ​

総選挙後の2021年11月2日から始めたマルクス『経哲手稿』のヘーゲル哲学批判の学習ブログですが、
昨日・3月5日に17回目にして一区切りしました。
もちろん、多くの宿題を残しながらでして、あくまで、目下の自分にとっての「一区切り」ということなんですが。





今回は番外編です。
この学習をとおして、自分なりに学んだというか、勝手に感じている二つの感想についてです。

一、一つは、このテーマの大事なことを、再認識していることです。
ヘーゲルは、近代において弁証法というものをはじめて発見した天才的な人ですね。
「弁証法って何なの?」
勝手な意見・憶測が、解釈が、それこそわんさと沢山の著作として出されています。
そうした中で、マルクスですが、そのヘーゲルの難書を読み、必死に格闘した中から、唯物弁証法というものを発見し、まとめたんですね。マルクスの『1844年の経済学哲学手稿』がその記録なんです。
無名の26歳の若者の見解でしたから、それは当時には刊行できず、草稿として誰にも知れず埋もれていた。
エンゲルスの『フォイエルバッハ論』というのは、それから40年以上がたって、マルクスが亡くなりその遺稿の束の中からその草稿を発見して、それは一般にはわかりにくいものでしたから、その中心点をわかりやすくエンゲルスが求めあげたものなんです。
だから、『フォイエルバッハ論』の指摘を参考にしつつ、その原典というか、オリジナルの『経済学哲学草稿』にあたってみることは、その成果(世界観)を確かめるための大事な課題だったんですね。

ようするに、弁証法とは何か。
この問題がヘーゲルとマルクスによって(ヘーゲルは1831年に亡くなってますが)、とことん活発に討議されていて、エンゲルスがそれをひもとくヒントをしっかり提供してくれているということなんですね。

1932年にモスクワで『経済学哲学草稿』が初めて刊行されます。
しかし、当時の日本社会では、「マルクス主義はアカだ」と犯罪とされて、戦前の唯物論研究会も弾圧・禁止されちゃうわけですから。1945年の戦争が終わっても、三木清などは獄中にとらわれたままで、結局殺されちゃって、遺体となって出獄してきたわけですから。いまでも、時たまその亡霊の発現を聞くじゃないですか。

私は1950年生れですから、そうした事情というのは、気がつかなかったんですね。1970年の学生時代になって、初めてそうしたことを知ったんですが。1969年に『日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社)という本が出されたんですが、何気なくそれを手にしたんですが。当初は私などは何が問題なのか、その当時はわかりませんでした。遅まきながらの蛍光灯だったんですが、2017年ころに読み返して気がつきました。これは戦前の唯物論研究会の成果がどこまであったか、哲学者の人たちによるその歴史的な総括、その検討会だったんですね。何故、1969年当時にそうした討論をしているのか。

もちろん個々人的には反省の書は、1945年の敗戦後からは出されてはいますが、しかし1969年になって当事者や研究者がまともな社会的な討論をしたということ。これは歴史的な事実なんです。ここには戦前の治安維持法の思想弾圧の後遺症が、考え方としては屈強とされる哲学者たちの間でも暗い影を残していたこと。戦前の苦難の歴史に、正面から関係者で総括的な討論がなされずに、戦後をずっと過ぎてきたことがしめされているんじゃないでしょうか。そのことに私などが気がついたのは2017年ですから、最近なんですね。民主主義が当たり前とされている日本社会ですが、日本の哲学者・研究者に刻まれている負の遺産が、こんなところにもあったんですね。そうした目で見ると、いたるところに「ジェンダー」等、問題があるじゃないですか。私たちも気づきにくいけれど、やはり「歴史の子」なんですね。

すこし話の角度を変えますが、
ヘーゲル弁証法がもっている問題を検討することは、1831年にヘーゲルが死去して以来の歴史的課題でした。マルクスが唯物論の立場からヘーゲル弁証法を検討したわけですが、だれがどのように検討してもいいんですよ。しかし、確かに実のある成果をマルクスは引き出したんです。この努力はすごいものですよ。そしてその記録が、この『経済学哲学手稿』なんです。
この宝の記録を持ち腐れにしちゃならないと思うんですね。もっともっと、その中身について討論があってしかるべきだと思っているんですが。

しかし、もう一度戻りますが、日本の歴史をふり返った時、その成果を自由に討論することは、前に紹介したとおり戦前の日本においては犯罪視さえされていたんですから。今は戦後70年以上が過ぎていますが、そこにあった空白を私たちは本当に埋めれていますか。この科学的社会主義の基本問題とされることですが、ここでも本当に胸を張って、ヘーゲルを読みこんで、それを吟味したと言えますか。しっかりとした研究者の間での討論がされてきましたか。

私などは、とかく感じさせられるんですが、だれか権威ある人の意見をもって、ことがらを分かったような顔をしている。真剣な努力もしないで、そんなようなことはありませんか。


『歌声よ、おこれ』と、宮本百合子は敗戦直後に評論を書きましたが、私などはまだそれは国民的なスケールでは、クリアーされていないと思っています。それが宿題として、今日の日本でも抱えているのが現実の事態だと思っています。

二、さて、もう一つ、私などがこの学習から学んだことですが。
私などの今は、年金みかん農夫なんです。真鶴と早川のみかん園の手入れをしています。
この生活バターンが、長年の自分がとってきた隠遁的な習慣が、この学習に対する無反応の、このダルマ状態の原因じゃないかと、ずっとこれまで考えて来ていたんですが。
今回の『経哲手稿』の学習で、それは違うことが分かりました。

どういうことかというと。
他の人との接点、交友というのは、全人格的な意気統合というのは、マルクスとエンゲルスのような特殊な場合はあり得ますが、私などの凡人の場合は、そうはいかないということです。
マルクスのヘーゲル『法哲学』批判の箇所ですが、法、国家、家族・・・、それぞれは諸契機であって、次々に意識の上での様に移り変わるものではないという点です。それぞれはそれぞれの契機において存在しつづけいてるとの点です。

私などは「自分の名簿(住所録)」において考えてみました。120人くらいの日ごろの友人・知人をあげてみたんですが。私の意識にとってはひとりひとり次々に変わる人たちですが、その一人ひとりは独立した人格で自分の生活を営んでいるじゃないですか。それは私自身の諸契機となって人間関係を結んでくれているということです。社会的であり、類的な関係なんですね。それを一個の、自分と同じ人と考えるのは、全的な一致を求めてしまうのは、ないしそうした人であってほしいと考えるのは、実際には過度のことを相手に求めることとなり、それは誤りなんですね。あくまで「人には人の乳酸菌」「人生、いろいろ」なんですね。
しかし、それらの諸契機、接点にある人たちとの社会的・類的な関係において、今の自分があるということです。
私としては、これまでの自分の他の人たちとの接し方を、改めなければならない、そんな人生のアドバイスをしてくれているものとして、このヘーゲルの著作とマルクスのヘーゲル哲学批判を読まさせていただきました。
ヘーゲルも天才的なすごい人ですし、マルクスのそれへの批判も素晴らしいですね。ヘーゲルの価値あるものをなるべく全面的に引き継ごうとしているわけですから。批判というのは、こうでなくちゃダメですね。

以上の二つが、今回読んで一番感じている事柄です。






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Last updated  2022年03月06日 19時19分45秒
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