みかん園に助っ人が現れる
6月9日(木)小田原のみかん園に助っ人が来てくれました。
彼とは50年前の高校時代の同窓生なんですが。
昨年の総選挙の時に、50年ぶりでしたが、
真鶴のみかん園が縁で、あいさつを交換することとなりました。
今回、小田原・早川のみかん園で待ち合わせしたんですが、
みかんの木5本を、これから手入れをしてみることになりました。
私はみかん園の手入れに、懐かしい人が参加してくれることは、じつに喜ばしいことなんですが、
反面、残念な気もしているんです。
もうちょっと早く、こうした援農を体験する機会をもてたら良かったのにと、思えて仕方ないんですね。
彼は、衆議院選挙の神奈川17区選挙区の候補者を担った人なんですね。
これは私などの勝手な主観的な思いなんですが、
日本共産党の候補者の人は、その政策もそうですが、人柄においても素晴らしいんです。
その訴えていたことは、客観的には政策的には正しくしっかりしていて、どれも国民にとっては切実な要求を取りあげてくれているんですね。
そうした人と、50年ぶりに、たまたまですが再会できたということは、ありがたいことじゃないですか。
よもや50年前の高校時代に、彼はバスケット部、私は水泳部といったことで、まったく政治的なことは関係なかったんです。そんな彼が、共産党の候補者になっていることを、昨年の選挙直前に知って驚いたんです。
私などが残念だと思うのは、もうちょっと前に、こうしたみかん園の援農交流が出来ていたら、一味総選挙の過程と結果が違ってきたんじゃないかと思うんです。
というのは、共産党の政策と主張は、農家が抱え入る問題に対しかみ合っているし、正しい政策的方向を提起しているんです。しかし、結果は明らかなとおり、その方向に進んではいるものの、遅々たる変化にとどまっているわけです。
何が足りないのか。
私なりの勝手な意見ですが。
もしも、この援農活動を、ちょっとでも総選挙の前に体験出来ていたら、同じ正しいことを言っていても、こうした今やってくれてるような実体験する機会があったなら、もっと農家の人の心に響くような力をもてたんじゃないかと、そのことを思うんですね。
選挙活動の中で出会えたことですから、その時はすでにそうした余裕はなかったんですね。だからそれから体験するなんて無理な話て、すべては仕方がなかったんですが。
だけど、ここで感じていることは、一般的なんです。
正しい主張、正しい政策と、候補者の真心のある人柄、それらは間違いなかったとしても、
それだけじゃ足りないんです。
たとえば、特急列車の車窓からでは、ローカルな各駅停車のようにリアルな町の人々のようすがみえないでしょう。氷の上を滑るようなことになってしまうんですね。もしもですよ、正しさに加えて、この実感としてのリアリティー性をもって訴えることが出来たなら、私などの石の地蔵さんのような頭であつても、その石頭の心をユラユラと揺り動かすような生きた訴えになるんじゃないかと、感じているんですが。正確さや、思いやりだけでは、長年の習慣を揺り動かすには足りないんですね。
私などのあくまで主観ですが、この援農体験をちょっとでもしていたら、あの候補者活動の中では無理なんですが、そうしたいたら、もっともつとグラグラとこの大地を揺り動かしていたと思うんですよ。
その意味で、残念だと思うんです。
もっとも、そのことは、今現在の問題でもあると思うんですね。早くこの点でひと手間ですが、その工夫が加われば、「ねむれる人を、揺り動かす力」となって、せっかくの努力がもっと生きてくると思うんですが。
そんなことを感じていたら、同じ小田原からですが、
『保守の人間だけど 応援』するとの、そんな記事が掲載されてました。
しんぶん「赤旗」の6月9日付ですが。
同じ赤旗新聞のトップ記事は、「平和でも、暮らしでも、希望がもてる日本に」との
日本共産党の参議院政策が発表されてました。
ようするに、発表された政策を、多くの苦難の中にある国民の気持ちと、どうやってつなぐか、
私などは、正しい字面であるかどうか、そのことに、どの様に生きた魂をふきこませるか、
それは、その場その場での、一人ひとりのコミニュケーションの力にかかっている、
もっともっと、生きたゆたかさで政策を充実できるし、そうした基本問題をもつ政策提起だとおもっているんです。
その切磋琢磨が、きっと変革の力になると思ってます。
援農者に感謝していることの紹介の話ですが、
それから、問題が大部広がってしまいましたが。