旧友・みかん栽培の恩人の旅だち
私は2001年に手探りでみかんの手入れを始めだしたんですが、
そうした時に、何人かの人がたすけてくれました。
小田原・早川の鈴木英之さんもその一人だったんですが。
彼は高校時代からの知人でして、30年ぶりに再会したんですが、
以来、みかんの畑を提供してくれたり、手入れの仕方をアドバイスしてくれてたんです。
昨日・6月3日に、私はいつも通りの団地朝市を終えた時だったんですが、
彼の訃報の連絡がはいりました。
ガンとわかって、それとしてたたかっての1年弱でした。
やむおえないことかとは思いますが、残念ながらこの結果でした。
いつも、自然に横にいてアドバイスしてくれてたんです。
私は、みかん作業の様子を紹介しようとして、1000枚を超える写真があるんですが、
彼はいつも自然な存在でしたから、ふりかえってみると彼の写真がほとんど無いんですね。
みかんの写真はいっぱいあるのに。
そんな中、探して探して見つけた写真ですが、その3枚を紹介します。
一番の直近は、今年の1月17日に、フキ畑を整備しようとしていた時のものです。
竹がかぶさっていた畑を、四人で切り払った時のものですが。
「時がくれば、ここが立派なフキ畑になる」と励ましてくれていました。
この写真の前のものはというと、
2022年の2月ですから、1年以上も前になりますが。
農道の横にある巨木ですが、台風などの時に倒れないようにと、
これを伐採しようとした、そのときのものです。
巨木を倒すというのは難しいんですよ。危険なんですよ。
さらに、もう一枚。
こんどは、東京・多摩市の永山団地でのものです。
ここで小田原産のみかんが販売されているんです。
そのみかんを販売している様子を、
遠路、小田原から出かけて来て、その状況を見に来てくれた時のものです。
生鮮野菜が販売されている、その一角に小田原のみかんがありました。
こんな写真しかないんですね。
彼はいつも横にいて激励してくれてる存在でしたから、
あえてカメラの被写体として、その人をとるなどということは、必要性を感じなかったんですね。
残念ながら、彼が主人公となる写真が、写真は沢山あるのに見つかりませんでした。
しかし、こうしてみると、かれが何を考えていたか、考えさせられるものがあります。
その姿からすると、みかん農家が抱えている課題を、一つ一つどうやって打開していくのか。
安全で美味しい栽培方法-出来の様々なものをどう流通させるのか-そして消費者を啓発するような販売方法と。
その姿からすると、これでもそうだったし、昨日までも、じっとその打開策を観察し、考え続けてきたようにおもわれます。
その姿を写真で見ると、今にして感じるんですが、彼が一体何を考えていたのか、その思いが伝わってくるように思います。
亡くなってから、それを察するようでは後の祭りで、まったく遅いんですが。
彼の、私の記憶に残っている発言というは、二つあります。
彼は、一口のビールが好きで、いろいろ語っていたんです。
「また、言ってら」と、私などは聞き流してたんですが。
一つは、日本の農家の置かれた苦悩でした。
自民党も含めてTPPの輸入自由化政策は亡国の道だと全農家が集会をもっていたのに、それがどういうわけか押しつぶされた。どうしてこんなことが押しすすめられるのか。このままでは大変なことになるとの義憤でした。
もう一つは、農家が抱えている問題は、いろいろ複合してあるんだけれど、死を目前にしていた彼の目から見ると、具体的には私などにはわかりませんよ。しかし、「私の健康問題をのぞいては、すべてがうまい方向が探られている。あと、2年でも3年でも生きれたらいのだけれど」と。これが亡くなる10日前に、私などが見舞ったあとにご家族と語っていた言葉だそうです。
ところで、彼の親友とといっしょに見舞った時のこと。
その時に、私たちにたいしては、彼自身がつい最近出版した句集の冊子について、
「もう話は1時間ちかくたつけど、もう時間がない。あんたらは素養がないだろうから、私が解説する」として、その中から3句をとりだして「講釈」をしてくれました。
いろいろ質疑があって、見舞に来たことなどを忘れさせてくれるような、
そんな楽しい懇談のひと時だったんですが。
それが最後の、直接の会話となるとは、当人も含めて知る由もない。
そんな笑いに富んだ懇談だったんです。それが亡くなる10日前のことでした。
そかな直近の会話の中で、印象に残ることですが。
やはり、一番は次の言葉だと思います。
「私の健康問題をのぞいては、すべてがうまい方向が探られている。」
これは家族に対してであるとともに、もっと広い人たちに対してだと思うんです。
ようするに、
「今を努力している人たちよ、がんばれ!」との彼のメッセージだと思います。
しかし、旅立ちました。
明日が通夜で、そしてその翌日が告別式になりますが、
私などとしては、彼のそんな主観的な思いですが、
それが会葬にきてくれた人たちによって、どんな形で客観的に示されるか、
もちろん部外者ですから、その世界のことは分からないことですが。
それでも、注目しているところです。