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みかんの木を育てる-四季の変化

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はなたちばな3385

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2023年06月04日
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カテゴリ:みかん栽培

​旧友・みかん栽培の恩人の旅だち​

私は2001年に手探りでみかんの手入れを始めだしたんですが、
そうした時に、何人かの人がたすけてくれました。
小田原・早川の鈴木英之さんもその一人だったんですが。
彼は高校時代からの知人でして、30年ぶりに再会したんですが、
以来、みかんの畑を提供してくれたり、手入れの仕方をアドバイスしてくれてたんです。

昨日・6月3日に、私はいつも通りの団地朝市を終えた時だったんですが、
彼の訃報の連絡がはいりました。

ガンとわかって、それとしてたたかっての1年弱でした。
やむおえないことかとは思いますが、残念ながらこの結果でした。

いつも、自然に横にいてアドバイスしてくれてたんです。
私は、みかん作業の様子を紹介しようとして、1000枚を超える写真があるんですが、
彼はいつも自然な存在でしたから、ふりかえってみると彼の写真がほとんど無いんですね。
みかんの写真はいっぱいあるのに。

そんな中、探して探して見つけた写真ですが、その3枚を紹介します。

一番の直近は、今年の1月17日に、フキ畑を整備しようとしていた時のものです。



竹がかぶさっていた畑を、四人で切り払った時のものですが。
「時がくれば、ここが立派なフキ畑になる」と励ましてくれていました。

この写真の前のものはというと、
2022年の2月ですから、1年以上も前になりますが。
農道の横にある巨木ですが、台風などの時に倒れないようにと、
これを伐採しようとした、そのときのものです。



巨木を倒すというのは難しいんですよ。危険なんですよ。

さらに、もう一枚。
こんどは、東京・多摩市の永山団地でのものです。
ここで小田原産のみかんが販売されているんです。

そのみかんを販売している様子を、
遠路、小田原から出かけて来て、その状況を見に来てくれた時のものです。



生鮮野菜が販売されている、その一角に小田原のみかんがありました。


こんな写真しかないんですね。
彼はいつも横にいて激励してくれてる存在でしたから、
あえてカメラの被写体として、その人をとるなどということは、必要性を感じなかったんですね。
残念ながら、彼が主人公となる写真が、写真は沢山あるのに見つかりませんでした。

しかし、こうしてみると、かれが何を考えていたか、考えさせられるものがあります。

その姿からすると、みかん農家が抱えている課題を、一つ一つどうやって打開していくのか。
安全で美味しい栽培方法-出来の様々なものをどう流通させるのか-そして消費者を啓発するような販売方法と。
その姿からすると、これでもそうだったし、昨日までも、じっとその打開策を観察し、考え続けてきたようにおもわれます。
その姿を写真で見ると、今にして感じるんですが、彼が一体何を考えていたのか、その思いが伝わってくるように思います。
亡くなってから、それを察するようでは後の祭りで、まったく遅いんですが。

彼の、私の記憶に残っている発言というは、二つあります。
彼は、一口のビールが好きで、いろいろ語っていたんです。

「また、言ってら」と、私などは聞き流してたんですが。


一つは、日本の農家の置かれた苦悩でした。
自民党も含めてTPPの輸入自由化政策は亡国の道だと全農家が集会をもっていたのに、それがどういうわけか押しつぶされた。どうしてこんなことが押しすすめられるのか。このままでは大変なことになるとの義憤でした。


もう一つは、農家が抱えている問題は、いろいろ複合してあるんだけれど、死を目前にしていた彼の目から見ると、具体的には私などにはわかりませんよ。しかし、「私の健康問題をのぞいては、すべてがうまい方向が探られている。あと、2年でも3年でも生きれたらいのだけれど」と。これが亡くなる10日前に、私などが見舞ったあとにご家族と語っていた言葉だそうです。


ところで、彼の親友とといっしょに見舞った時のこと。
その時に、私たちにたいしては、彼自身がつい最近出版した句集の冊子について、
「もう話は1時間ちかくたつけど、もう時間がない。あんたらは素養がないだろうから、私が解説する」として、その中から3句をとりだして「講釈」をしてくれました。
いろいろ質疑があって、見舞に来たことなどを忘れさせてくれるような、
そんな楽しい懇談のひと時だったんですが。

それが最後の、直接の会話となるとは、当人も含めて知る由もない。
そんな笑いに富んだ懇談だったんです。それが亡くなる10日前のことでした。

そかな直近の会話の中で、印象に残ることですが。
やはり、一番は次の言葉だと思います。

「私の健康問題をのぞいては、すべてがうまい方向が探られている。」

これは家族に対してであるとともに、もっと広い人たちに対してだと思うんです。

ようするに、
「今を努力している人たちよ、がんばれ!」との彼のメッセージだと思います。

しかし、旅立ちました。

明日が通夜で、そしてその翌日が告別式になりますが、
私などとしては、彼のそんな主観的な思いですが、
それが会葬にきてくれた人たちによって、どんな形で客観的に示されるか、
もちろん部外者ですから、その世界のことは分からないことですが。
それでも、注目しているところです。






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Last updated  2023年06月05日 00時24分19秒
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