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中学生の頃、友達のK君と大の仲良しだった僕は、この町へ引っ越してきたばかりの新参者。そんな僕はどうゆう訳だかK君とはすぐに仲良くなり、いつも一緒に遊んだのを覚えている。K君の家は町の美容院。いつもお母さんは一生懸命働いていた、そして僕をニコニコと迎えてくれたのだ。洋画ファンであるK君の部屋には、ロードショーやスクリーンといった映画情報誌がうず高く積まれ、とてもステキな部屋に僕の目には映った。映画誌のなかのアラン・ドロンやマックィーン、ポール・ニューマンといった映画スターの写真が僕たちを魅了して止まなかった。そんななかにレッドフォードもいた。『明日に向かって撃て』のロバート・レッドフォードだ。70年代アメリカン ニューシネマを代表する彼は、73年『スティング』を皮切りに同年『追憶』、74年『華麗なるギャツビー』、75年『華麗なるヒコーキ野郎』、76年『大統領の陰謀』、77年『遠すぎた橋』と名立たる名作に出演したのだ。その彼は今でも映画俳優、プロデューサーそしてサンダンス映画祭と活躍の場を広げ多忙な日々を送っている。
あれから35年も経とうとしている今、再びレッドフォードは違った形で僕の前へと現れた。とてもいいからこれ読んでみて、と妻に強く勧められ、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』を渡された。そう、あのギャツビーだ。レッドフォード主演の『華麗なるギャツビー』の原作である。ギャツビーと聞いて化粧品よりレッドフォードを思い浮かべた僕は、これも何かの縁と思い妻の提案を全面的に受け入れて、読むことにした。
本を閉じるとき、それはやってきた。静寂にある森の湖に立つ小さなさざ波のようにざわざわと僕の心に広がっていった。人間とは何と愚かで哀しくも美しいものなのか、と。多くは語るまい。