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カテゴリ:心
気になる最近の話題 - 家庭内犯罪から思うこと 葉隠 -
ここ数年、家庭内犯罪が目立ちます。 あるメマルガでは、「発行者が子供の頃は、家が小さく、子供は多かった。 昔は子供をある程度放任していたが、今は親が子供に干渉してくる」と 述べております。 一理あります。たしかに、ちょっと前までは、「兎小屋」として日本の 住宅は揶揄されていました。それが、現在では聞こえないとすると 「兎小屋」ではなくなったということですね。 また少子化の問題もあり、親が積極的に子供に介入してきている という 噺も聞いたことがあります。 子供の心の中には、何が起きているのでしょうか。また、それに対して 親は、どう対応していけばいいのでしょうか。 こういう時ほど、温故知新だと思うのです。 いま、「葉隠」(はがくれ、松永義弘著、株式会社教育社発行)を読 んでいます。 この葉隠は、佐賀の鍋島家の家来である山本常朝(つねとも)が 語るのを筆記したものです。しかも常朝が書物にするのはまかり ならんというのを、筆記し、またその筆記を模写させ、原本は 廃棄したというもので、原本がなく複数の模写が残っているようです。 もともと葉隠は、太平洋戦争時に、精神高揚のために利用された と著者はいいます。 「武士道とは、死ぬこととみつけたり」 という有名な一文は葉隠に登場します。 この葉隠を有名にしたのは、太平洋戦争の教典になってしまったことだと。 この場合の武士道というのは、人の腹の座り具合というか、 肝のことをいっていると著者はいいます。 もともと葉隠は、武士の教育のために書かれたものです。今でいうと ノウハウものでしょうか。とにかく、国を知れ、お家を知り、先祖を知って 先祖を敬え(先祖が苦労しなければ今はなかったのだ)ということを いっております。 (同じ藩士の大隈重信がこの葉隠を高く評価したらしい) この武士への教育が、町民へ、農民へ と浸透していったことでしょう。 一種の道徳と考えてもいいかと思います。ただし、「いまの若い者は・・」 という愚痴もでますので、現代でも合い通じるものがあります。 私の好きな箇所は、聞書第一の95 「盛衰によって人の善悪は判断 できない。盛衰は運命である。善悪は人の道である。教訓のために 盛衰をかりて言う。」 また、過去に読んだ本では、「梅原猛の授業 道徳」 (梅原 猛著、朝日新聞社出版)。 現代社会から「道徳」という教育ジャンルが何故消滅したか、 また、道徳の歴史を述べているのには、すっきりさせてくれます。 著者は、「個人が悪いというより、社会の道徳レベルが落ちてきた。 日本人全体の道徳心がマヒしている。日本の重大危機である。 だから、道徳を子供の時から教えないといけない。」と主張しております。 父に聞きましたら、教育勅語は、今でもあたまの部分だけ 「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」 は言えるといっております。そして、修身教育を受けたとのこと。 (参考)教育勅語 http://kan-chan.stbbs.net/docs/chokugo.html 戦後日本は占領軍によって新しい憲法が作られ、それに対応 する道徳が制定されなかった。 そして著者は、 「人間とはどういうふうに生きたらいいのか?」、 「人間は何をしたらいけないのか?」 とかに答えられるものが、(今の教育では)教えていないと 憂いています。 哲学的かもしれませんが、小さいころからこういう問題を大人から 指摘されることが必要かもしれません。ちょっと前までは、お寺の 和尚さんが教えてくれたり、両親が教えてくれたり、近所のおじさん が指導してくれたり いろいろとそういう場があったものです。 今年の夏休み中には、是非、一読をお勧めしたい本です。 (6月23日) (出展場所) http://ameblo.jp/sakae2/entry-10014100838.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年08月20日 19時58分17秒
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