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カテゴリ:心
■気になる本 - 私の目は死んでない! -
--------------------------------------------------------- 小学時代は国語が好きで、中学になったら数学に切り替わり、 高校になったら電気(強電)が好きになり、仕事は弱電関係の 仕事をした人がいます。 いろんなことを学び、肥やしにしていくのは、重要な ことだと思うのです。それが、自分の意志でなくても。 でも、時々、自分の過去を振り返るのは大事なことだと 思うのです。特に自分はどのように育てられたか と いう点で。 本日のNHKの朝のニュースで、気になる特集をして いました。 ある女性(大学生)が、母親が仕事をしていたので、 すれ違いの生活からか、「自分は親にかまってもらえない」 と、ずーっと思っていたそうです。 それが、大学での宿題で、「お母さんがもっている あなたの母子手帳を是非、みてください」というのが だされ、母親にみせてもらったところ、「こんなにも お母さんは私を愛して接してきたのか」というのが 母子手帳を通じてわかり、女性の目からは、光る ものが見えました。 今朝は、いい気持ちにさせて頂きました。 話を戻します。未成年の時代って、いつも何かを探して いたような気がします。 その当時の感覚や感情を吹き出させてくれる本をみつけ ました。何故か、新鮮なのです。 でも、高校時代に、「あなたが今、思っていることを、 自由に書いてみてください。」と先生から言われたら、 どのくらい思ったことを書けただろうか。 それが、延々と国語の時間に続いているのがあります。 いま、「私の目は死んでない! 高校生通信《今、ここで》の 10年間の記録」(著者 妹尾和弘、出版社名 株式会社評論社、 発行年月 2000年3月)を読み終えました。 著者の妹尾和弘(せのお・かずひろ)氏のフロフィールは、 カバーにあります。 ---------------------- 1957年、岡山県生まれ。皇学館大学文学部卒業。 兵庫県立龍野実業高校教諭を経て、現在、岡山県立鴨方高校教諭。 担当は国語科。国語通信「今、ここで」を通じて、生徒が生きた 言葉で自分を表現する活動を続け、また「朝の十分間読書」の 全国への普及にも尽力している。 ------------------------ 国語教師の著者は、生徒に自由に書かせ(ということは、 書きたくない人は書かない)、そしてそれらを通信として 掲載して配布する活動を10年間、続けてました。 著者のこの本は、平成元年度~平成十年度に発行された 国語通信『今、ここで』 からの抜粋です。 いいえ、決して義務ではなかったのです。書きたくない 人は、書かなくてもいいし、文体も、テーマも、量も、 思いのままだったと著者はいいます。 そして、氏名も書きたくなければ書かなくていいという ものでした。 それが、国語の時間の始めの5~10分を使用して 行われたのです。 この本を読んで、何故か新鮮な涼風にあたったという 気持ちなのです。そうそう、忘れていたあの幼い気持ち が蘇ってきたのです。 総理大臣も、博士も、部長も、課長も、こういう時代が あったのではないかと思います。それが、郷愁にも似た 感覚が、蘇ってきたのです。 いま、中学生や小学生、そして幼稚園児も、これから 通るであろう時代の通過点として、ぼやけた霧の中でも 見通せる目を持つことができると思うのです。 (両親が著者の本を読んで、それに基づいて育てるという 意味ですが) 著者の本を読んでみますと、最初の高校2年生は、 たどたどしい文章で、あまり自己表現に慣れていなく 記述内容も、身の回りのことが多いのです。 それが、1年経過すると、しっかりと、自己の深層 を抉り出してきます。驚きなのです。 しかも、それが生活と密接しており、生徒の置かれた 環境がなんとなく、わかるというものです。 例えば、2年生でこんな文があります。 「昨日、お母さんに何年ぶりかというくらい久しぶりに 怒られた。見捨てられてなかったので良かった<女>」 短くても、その背景がなんとなく想像つきます。 ひょっとして弟か妹がいたのでしょうか。母の愛情が 届かないと勘違いをしたでしょうか。それとも・・。 でも、本当、怒られて良かったですね。存在感を 認識できたわけですから。でも、今度は、笑って 存在感を認識できるような家庭になれは、最高ですね。 それが、3年生になると、別な人がこのように 書いています。 「昨日、父に『今、ここで』を見せてあげた。なかなか 読み終わらないので、「お父さん、読むの遅いよ」と 言ったら、「あほうが、一つ一つかみしめて読みょうんじゃ」 と言った。私はその時、父は、『今、ここで』を読んで、 どんな思いや考えを頭の中でめぐらせているのだろうと思い、 ついジーッと見ていると、おもむろに顔を上げ、「んー」 と一声唸ると、野球を見始めた。 でも、私は知っている。父は野球を見ていない。そういう 父が好きだったりするのだ。」 なんとも嬉しい文章ですね。その場面が思い浮かびます。 この、『今、ここで』という通信は、国語の授業の前に 生徒の皆さんが書いて、後日、先生がプリントして配布する という方式のようです。 そして、そのプリントされた意見について、他の生徒 さんから、賛同や反対の意見がついたりもします。 その通信は、家庭の中に入っていきました。 真っ先に反応したのは、お母さんです。OBとして、または 生徒の親として、投稿がきました。勿論、著者は、この 通信に掲載します。 その後、それを母親から知らされた父親が見て、また、 意見を寄せてきます。それを、通信に掲載していきます。 と、振り返ったら、学校(先生と生徒)を中心として、 地域社会に波及していったのがよくわかります。 ですから、著者の先生が行った『今、ここで』という 通信については、感嘆いたします。しかも、それが 継続されたということに、敬意をしたいです。 そして、副作用といっていいのかわかりませんが、 自分の考えを述べるために、読書する習慣が生徒に ついたという報告です。 まさしく、教育の原点をみたような気がします。 しかも、それに答える生徒達の、言霊が入っている 文章も、本当に、「生きた言葉」です。 将(まさ)に教育とは火つけ役で、何時間教えたかではなく 何を教えたかですね。 生徒の心の中にある何かに、先生は見事に着火したの ですね。 (参考)岡山県立鴨方高等学校ホームページへようこそ (11月8日) ![]() 私の目は死んでない! ![]() 〈マンガ〉私の目は死んでない! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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