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カテゴリ:日常
いよいよ先が見えなくなってきた。
本当の本当に何をする気力もわかない。 人生の価値も意味もわからない。 今までの「死にたい」は半分くらい無理やりだったような気がするが、それが昨日は無理やりだった割合が極端に少なくなったように感じた。朝からそんなこと、死んだ後のことばかり考えた。もう生きていない前提で先のことを考えていた。 人の名前も景色もぼやけていた。 あっちの世界には海はあるのかとか、潮の匂いとか波の音は聞こえるのかとか、そんなことが頭をよぎる。 もちろん人に迷惑はかかる。 ただ、本当にそう思っているならまだ正気な人間だろう。本気ならそんなことは生きて未来を迎える希望のカケラにもなりやしない。 死ぬことは救済であり、逃げ道でもある。 生きながらにして逃げることはよくないと思われがちだが、死ぬことが最後の境地。 でも、今日という日をまた一日生きてしまった。 この事実から顔を背けたくてまた何もしなかった。昼間に酒を飲み昼寝もした。 死にたい気持ちは変わらずあるのだが、準備が面倒だ。道具もそうだし、できるだけこの世に引き継がなければならないことが多い。それをするくらいなら昼寝でもしていた方が気持ちがいい。 なるべく「死にたい」から気をそらすためにとにかく直感で別のことをするようにしている。YouTube見たり、ソシャゲやったり、ピアノ弾いたり、酒飲んだり。もう魚のことが手につかないあたり、本気で命の終わりが見え隠れしている。アイデンティティの崩壊。生きる価値の暴落。 確かに時間の経過でなんとかなりそうな気もする。 今までもそうだったから。 でも、ここまで頻発する死にたい欲求は普通の人ではありえないことなのだろうか。 それともごく普通のことで自分が耐性がなさすぎるだけなのか。 まあどっちでもいいけど。他人と比べることはただの愚かな思考だ。時間の無駄。…無駄っていう概念すら今の自分にはないけどな。 一日にも一生にも、始まりがあって終わりがあるんだよ。 現れたり消えたりする夕空の雲のように、自分の命も存在も消えてしまえばいいのに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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