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テーマ:こけし探訪(85)
カテゴリ:遠刈田系
ほのぼの小林昭三の丑蔵型笑い口(湯田の小林定雄一家)
小林昭三は湯田の小林善作の三男。新聞社勤務の傍らこけしを作った。本品も裏書に昭和55年とあり、勤務の間のものである。小林善作ばりの丑蔵型である。 小林定雄一家ではないが一族である。いったい小林一家というか一族は、こけし本業としたのは定雄ぐらいで、小林輝子にしてもその子息元にしても、それぞれ余暇や余技という感じがする。それだけに、商業主義に毒されていないとも、その道を突き詰めたとも思えない。無欲なところがいいのだが、それを良しとするか、物足りないとするか。難しいことだが、いま私は湯田の小林一家の魅力にはまっている。 本品は裏に「昭三 三十八」とあるもの。書込みに55.8.27とある。飄々とした、ほのぼのとした笑い口がうれしい。 小林昭三(こばやししょうぞう:1942~) 昭和17年3月1日、岩手県和賀郡湯田町湯田の木地業小林善作の三男に生まれる。学生時代より、父善作のこけし製作を見て、こけしの描彩を始め、また木地も学んだ。早稲田大学を卒業後、昭和42年より新聞社(岩手日報)に勤務した。最初の2年は一ノ関支所勤務、その後仙台、昭和47年より盛岡勤務となった。盛岡転勤に伴い、岩手県岩手郡滝沢村(現在 滝沢市)に住むようになった。 〔作品〕昭和40年頃よりこけしを作ったといわれているが、現存するものでは昭和42年正月に作ったものが古いものであろう。「25才」と記入のある4本はまだ重ね菊の花弁も筆が伸びず、描彩もぎこちない。しかし、この時期のものは初期の素朴な味わいがあり、ほのぼのとした情感を感じさせる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年09月30日 11時47分14秒
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