411306 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

燦こけし by 松田ひろむ

燦こけし by 松田ひろむ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

プロフィール

燦こけしの会

燦こけしの会

フリーページ

お気に入りブログ

テレカ収集ボランテ… teleca2001さん
鴎座俳句会&松田ひ… ひろむ193808さん

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

こけし妖怪@ 高橋佳隆さんおかめこけし 突然のコメント失礼いたします。 大叔父…
燦こけしの会@ Re:保存のいい大沼竹雄9cmを入手/ヤフオク(03/15) 通信こけしなら、底が外れるのですね。ま…
燦こけしの会@ Re:保存のいい大沼竹雄9cmを入手 ヤフオク(03/15) そうですね、ちょっと小さいかなとは思い…
燦こけしの会@ Re:保存のいい大沼竹雄9cmを入手 ヤフオク(03/15) そうですね、ちょっと小さいかなとは思い…
国恵志堂@ Re:保存のいい大沼竹雄を入手/ヤフオク(03/15) これは小島正の通信こけしのような気がし…

ニューストピックス

2019年09月15日
XML
テーマ:こけし探訪(85)
カテゴリ:遠刈田系

ほのぼの小林昭三の丑蔵型笑い口(湯田の小林定雄一家)

小林昭三は湯田の小林善作の三男。新聞社勤務の傍らこけしを作った。本品も裏書に昭和55年とあり、勤務の間のものである。小林善作ばりの丑蔵型である。

小林定雄一家ではないが一族である。いったい小林一家というか一族は、こけし本業としたのは定雄ぐらいで、小林輝子にしてもその子息元にしても、それぞれ余暇や余技という感じがする。それだけに、商業主義に毒されていないとも、その道を突き詰めたとも思えない。無欲なところがいいのだが、それを良しとするか、物足りないとするか。難しいことだが、いま私は湯田の小林一家の魅力にはまっている。

本品は裏に「昭三 三十八」とあるもの。書込みに55.8.27とある。飄々とした、ほのぼのとした笑い口がうれしい。

小林昭三(こばやししょうぞう:1942~)

昭和1731日、岩手県和賀郡湯田町湯田の木地業小林善作の三男に生まれる。学生時代より、父善作のこけし製作を見て、こけしの描彩を始め、また木地も学んだ。早稲田大学を卒業後、昭和42年より新聞社(岩手日報)に勤務した。最初の2年は一ノ関支所勤務、その後仙台、昭和47年より盛岡勤務となった。盛岡転勤に伴い、岩手県岩手郡滝沢村(現在 滝沢市)に住むようになった。
一ノ関、仙台時代は、帰郷する折に、蒐集家に頼まれてこけしの製作を行ったが、この時期の作品数は少ない。昭和423年の25歳~27歳のものが少し残っている。滝沢時代も仕事の合間に少しじずつ作り続けたようである。
平成15年に新聞社を退職し、小岩井農場のそばに作業小屋を借りて、本格的にこけしを作るようになった。カメイ美術館刊の〈伝統こけし最新工人録〉にも工人として掲載されたが、平成22年頃にこけしの製作を休止した。(KokeshiWiki

〔作品〕昭和40年頃よりこけしを作ったといわれているが、現存するものでは昭和42年正月に作ったものが古いものであろう。「25才」と記入のある4本はまだ重ね菊の花弁も筆が伸びず、描彩もぎこちない。しかし、この時期のものは初期の素朴な味わいがあり、ほのぼのとした情感を感じさせる。
徐々に、父善作の作風を学んだ様子がうかがえる。「27才」の署名があるものは、善作の一つの型を継承したもの。善作自体は丑蔵の表情に倣ったものと思われるが、それが泣きべそをかいたようなユニークな顔立ちとなった。昭三はその面描を写している。<br>滝沢時代の作は新聞社勤務の合間に製作したもの。(KokeshiWiki抜粋)

 にほんブログ村 コレクションブログ ドールへにほんブログ村にほんブログ村 コレクションブログ おもちゃ・玩具へにほんブログ村






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019年09月30日 11時47分14秒
コメント(0) | コメントを書く
[遠刈田系] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.