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カテゴリ:航海日誌
更新情報
顕正新聞2月5日号UP 1月25日号が来たと思ったら、2月5日号が早くも来た。 発行日を遅れているから早いとは言えないのだが、前号の1月25日号が遅かったから早いという印象をうける。 でも編集作業を考えると、この間隔はあり得ないだろう。 二号同時に編集していたのか、1月25日号の編集担当者が無能だったから遅れたのか? しかし、発行日に発行できてないのだから無能なのは変わらないけどね。 ざっと見る限りは相変わらず記事の内容が薄い。 特に目立ったのが、幹部人事。 総勢88人の人事があった。 兼任人事やら、組織を半分に分けてとかがあるが、所帯が大きくなった訳ではないだろう。 あくまでも、勧誘報告書の枚数での判断ではないだろうか。 実数が居るのなら、兼任人事などでは対処できないだろう。 役職の乱発で、会員のモチベーションを保つのが狙いだと思われる。 あと個人的には、高校生の記事が掲載されているのだが、神奈川県の話なので、登壇者が通ってる高校とか知ってる方がいたら教えて貰いたい。 第12隊だから神奈川県西部かな? 横浜の高校なら、12隊隊長を勧誘しにでも行ってこようかな。w それと、公開法論をしてとあったが、相手が居ないです。w 樋田さんはきっとしないでしょ。 学会員も同じ。顕正会員はもちろん、遁走と言うことで、相手が居ません。 それにここで、公開討論もできないのに、時間の制約がある公開法論では、たいした話は出来ないでしょ。 参照 Re:平成29年1月幹部会(2)(02/06) 浅井智慧ゾ〜 さん >いいですか。まず朝廷が分裂して南北朝時代が始まり、応仁の大乱を機に、血で血を洗う戦国時代が続き、幕末にいたった。これまでの五百数十年はまさに国内の動乱、自界叛逆であった。 何いってんですか、まず足元を見ましょう。日目さんがいい加減な事するから 日目没後に大石寺は東と西に分裂して80年係争、さらに分裂に次ぐ分裂。 門下の争いに火を付けたダメ三代目が日目さんでしょう。 それからは大石寺は疲弊の一途、造仏派の日尊門流から百年に渡って貫首招き。 日本のことよりも大石寺が自界叛逆でしょうに。 浅井さんチも長男立たなかったしね、ひょっとして正規の信仰は真言? 大石寺信仰てPPPですね。 宗祖はいい加減な人物だった。 宗教学者とか仏教学者は、日蓮上人を褒める人が多いが、生活がかかっているから、否定的なことは言わない。 言ってる学者は、日蓮系に書籍を買って貰わなくても困らないポジションの人々ですね。 二祖日興上人にしても、おっしょうさんラブーて人でしたから、必至に神格化に努めた。 でも三祖日目上人とは上手くいってないから重須に引っ込んだ。 これは政治的な影響ですね。 日目上人は、ご指摘のように大分裂の切っ掛けを作った張本人。 まして、旅先で無念の死ですからね。 自分の年齢と季節を考えないでの無謀な天奏ですから、迷惑なじいさんて事でしょ。 日目上人からの大石寺の自界叛逆はまさに当てはまりますね。 そのおかげで衰退してきて、要法寺から法主を招くという恥ずかしいことが続いた。 >浅井さんチも長男立たなかったしね、ひょっとして正規の信仰は真言? これ、真言宗に悪いですよ。 長男が立たないとは、日蓮系の言いがかりですからね。 淺井家の正規信仰は淺井教です。w 本当に日蓮大聖人がとか心から思っていたら、本尊を印刷したり、口先だけの誓願とか絶対に言わないです。 口先だけでも何も起こらないから、上辺だけの日蓮大聖人とか言ってるんですね。 2月は日蓮の誕生日ですが、誕生日をお祝いしないのは、日蓮系で顕正会だけ。 生まれてきたから法を説けたとなるのに、それをしない。 逆に亡くなった祝いは盛大に、紅白の鏡餅を飾る。 大石寺系で言えば、魔だから本仏が亡くなったことを大喜びで祝ってるとも言えるでしょ。 Re:平成29年1月幹部会(2)(02/06) 通ってますよ。 さん >さて、日目上人の申状の中には、こういう御文がある。 「法華本門の正法を立てらるれば、人も栄え、国も栄えん」と。 「法華本門の正法」とは三大秘法のことです。この三大秘法を立てれば、人も栄え、国も栄える――と仰せられている。 歴史を見れば栄えるどころか、国乱れて滅亡です、確たる証拠がこれです。 ●鳩摩羅什>亀茲国=他国侵逼 ・後涼=滅亡 ・後秦=滅亡 ●天台大師>陳=他国侵逼により滅亡、陳王家一族族滅 ・隋=自界叛逆により滅亡、隋王家一族族滅 詳しくはこちらの管理人さんのページを! http://plaza.rakuten.co.jp/sanmon77/21001/ (参照) 法華を用いると動乱の火種になりますね。 でも釈尊の法華経だからとか、言う輩もいそうなので違う視点から。 偉大なる久遠元初の自受用報身如来であらせられる日蓮大聖人様の高弟である六老僧。 釈尊の十大弟子は皆、解脱しました。 しかし、仏の大元である日蓮大聖人の本弟子六人ときたら、日蓮大聖人没後、仲違いをして争いに明け暮れる。 これぞまさしく、自界叛逆の元祖と言えます。 そして、争いに勝利したと思われた日興師ですが、身延を逐われて富士に逃避行。 そこで、安住の地と思われたのが、重須に安住の地を儲ける始末。 大石寺も他国(日目家)の侵略を受けたんです。 大石寺系信徒は否定するでしょうが、法主の座を明け渡していながら本尊書写を日興師は晩年までしています。 逆に日目師は、ほとんど書写をしてません。 これって、法主一人に本尊書写の権限があるてのは、違うという証明にもなります。 隠居だからいいて事はないからです。 血脈を受け渡したのなら、内証はもぬけの空。 内証がないのに書写はできないでしょ。 脱線しましたが、大石寺の自界叛逆は永遠に続いて現代まで引きずっています。 特に昭和には入ってからは酷かった。 法主追い落としとか、内乱。 蓮花寺事件とか、正信会、妙信講、創価学会と続くのですから、自界叛逆の歴史とも言えるでしょ。 こんな状態で、なにが唯一正しい教えとか言えますよ。 筆者も言っていたけど。w 心からは思ってなかったですけどね。 にほんブログ村 「自灯明・法灯明」 「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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