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カテゴリ:航海日誌
参照
Re:更新情報&コメントレス(02/07) 浅井智慧ゾ〜 さん >長男が立たないとは、日蓮系の言いがかりですからね。 淺井家の正規信仰は淺井教です。w そうですね、真言宗の方々に事実無根なことを書きましたお詫び申し上げますm(_ _)m。 で、浅井教ですが、K峰夫妻もアレですし、後釜のあの人もナンですから、家族全滅ですね。 日本の将来心配するより自分の一族心配したほうがいいのでは・・。 淺井教と書きましたが、細かく言うと、日蓮本仏論を展開している大石寺法門の日寛教学をベースにした、淺井教ですね。 単純に言って、日蓮本仏信仰者ですか。 でも、日蓮信仰は没落信仰ですからね。 四条家や池上兄弟とか、遺文に出てくる信徒は没落して全滅。 淺井昭衛が大好きな熱原の農民信徒の末裔しら、存在していないと思いますよ。 そんな話を聞いたことがないので。 そうなると日蓮信仰てのが、没落の原因かと言ったら、日蓮宗系は、そうでもないですから、日蓮本仏系統が没落の要素が強いんでしょう。 二祖日興上人、三祖日目上人など、出身家系は、僧侶を出したのだから七代の子孫まで繁栄は約束されているのに、七代も持ってないはずです。 それに大石寺信徒の代々信徒は少数です。 江戸時代の寺請け制度の残りがいますが、その方々が代々と言われている人の大半ですね。 あとは、明治以後に入ってきて、代々とか言ってるような人達も居ますけど。 だから日蓮本仏信仰圏は、代々続く家系てのは厳しいのかも知れません。 淺井家にしても正宗信徒として甚兵衛さんが初代 昭衛さんが二代目ですが、兄弟である弟が亡くなってます。 年齢としては若い時になくなってるから、日蓮の加護がなかったと言うことでしょう。 昭衛さんの子供は、長男行方不明。 次男は、親の言いなりでなにもできない無能ぶり。 長女は離婚ホヤホヤ。 一家和楽とはほど遠いと見本になる方々ですね。 コレを見ても、顕正会員は何とも思わないのでしょ。 だから日蓮信仰するのなら、釈迦本仏である日蓮宗系の方がマシかも知れません。 顕正会員が好きな現証を見れば一目瞭然ではないかなと思います。 参照 Re:コメントレス(02/05) 匿名希望 さん >日達上人が、小野寺さんを紹介したのは >Aさんの言われる、故山口稔さんの事は存知あげております。山口稔さんは富士門の研究が御専門で研究の過程でどうしても腑に落ちない事が多く、現大石寺で色々とたづねるが埒があかず、そうした中で細井日達師が詳しい人が居るので、と、言う事で当本門寺の日了上人を紹介され、そうした中でお若い頃の著作の間違いや、不明であった点を納得されて、その後、お亡くなりなるまで日了上人のもとにおいでになりました。 富士市歴史散歩は日了上人にお会いになる前のもので、当を得たものではありません。 此の地は律令制における「大石の駅」が在った所でその裏手は大石の原と言う事です。その地名を冠して、甲斐を離れ、移転した身延山久遠寺の西大坊を通称「大石寺」と称したのです。此の地は新田小野寺五郎重綱の領する所です。 http://nichirenhokke.web.fc2.com/keijiban/kaidan.htm 細井日達師の紹介、となっていますが、事実でしょうか? 小野寺氏主催の本門正宗は「大平教団」という宗教団体です。 正宗からみたら完全な「邪教」です。 そんな「邪教」の教祖を一宗派の管長が紹介するでしょうか? あそこの主張は、小野寺氏が大石寺顧問だった?や、 早瀬日慈師が祖父を堀日亨師だと言ったり(正解は、大石日応師)など、何かおかしな事や盛ってる感じがします。 また、山口稔氏も小野寺氏と共に行動したり、教団を訪ねているようですが、あそこの「本因妙大本尊」や「日蓮生御影」など見たり、拝まれてる感じですが、山口稔氏は法華講員として「邪義」を破折しなかったのでしょうか? 何かミイラ取り?がミイラになったような? 日達師の紹介かは不明ですね。 ただ、本門正宗側の主張は鵜呑みにできないから、裏をとるしかないでしょ。 記載されていることにしても、全て調べないと判断できない、胡散臭さと言うことです。 >しかるに近年、小野寺日了という邪憎、「本門正宗」なる邪教を横浜に作り、盛んに大石寺の大御本尊と血脈を誹謗するを見る。 この邪教の所論を見るに、すべてこれ大石寺の義を盗み取り、あたかも自宗が本来の大石寺の伝統を継ぐかのような大誑惑を構えている。 昔より正法に敵対する怨嫉者に妄語と誑惑は付きものであるが、小野寺日了。山口稔・玉井礼一郎等一党の虚妄と欺誑は、かの提婆・倶伽利も舌を巻き、善無畏・引法も三舎を避けるほどの大それたものである。 かかる邪教を放置すれば、定めて学会退転者等無智の者の中に、惑わされる者も出よう。またかかる大御本尊誹謗の甚しきを、見て置いて呵責せねば、「仏法中怨」の責めは遁れがたい。 ゆえに先般小野寺に対し法論を申し入れ、一挙に事を決せんとするに、彼これを避く。よって彼等一党の誑惑の大綱をここに掲げて粉砕し、以てその根を断たんとするものである。 【顕正新聞 昭和61年9月25日号】 ここで浅井氏は山口稔氏を小野寺氏一味だとして上げています。 まさか、龍泉寺支部講員だったとは知らなかったのでしょう。(知っていたら多分そこも非難していたはず) 淺井昭衛は、自分の意に合わない者は全て敵。 人物関係とかなにも知らないでしょうし、知ろうが知るまいが関係ないのですよ。 自分の名誉を堅持して居たいだけですからね。 で、丁度良いから、本門正宗の実態とか、小野寺さんの言ってることが事実とか研究してみたらいかがですか。 ここで投げかけるのではなく、ご自身でとことん調べて研究発表されてみてはいかがですか? つまらない、ネット法華講とかのネタを追いかけているより有意義ですよ。 もう、大石寺系教団員は、自分達の正しさや本尊、教義すらまともに主張もできないし、説明もできないのですから、その程度の宗教。教えて事です。 本尊にしても、日蓮本仏にしてもまともな、説明もできないのですからね。 参照 Re:平成29年1月幹部会(1)(02/05) 匿名希望 さん >富士山に戒壇を建てるとも言ってない。 申状にも富士山に戒壇を建立をとは書いてないでしょ。 すると猛信者?は「身延相承書に、「富士山に本門寺の戒壇を」と、認められてるではないか」と言い訳すると思います。 申状を出した時点では身延にいたでしょ。 身延相承書は大石寺に移ってからの話。 日蓮上人の代理で天奏したじ点では身延にいた。 それなにの富士山麓に法華を求めるという言葉が出てくる訳がない。 天皇は、富士に戒壇を建てるとも拠点を築くとも知らない。聞いてないのですよ。 それを身延相承書にて、話の時系列を無視してる。 一色単に議論することではないですね。 だからいい訳にもならない。 >それに弘通の本拠地として鎌倉を拠点にしたかったが、相手にされないからいじけて身延山に籠もった。 すると猛信者?は「三度諫めても駄目なら国を去る、の古事の通り毅然と身延に去ったのだ」と言い訳すると思います。 仏教徒なのに中国の古事を用いてどうするのてことです。 だから中国かぶれと言われるんですよ。 経文に三度諫めて用いなければ国を去れ、とか書いてないでしょ。 あくまでも経文を元にとかいってる日蓮が、経文にないような中国思想の振る舞いをしている。 そして、折伏弘通を放棄して身延に隠居ですからね。 法華の行者でもないでしょ。 弟子育成がとか言う日蓮党もいそうですが、ろくな育成をしてないから六老僧の兄弟喧嘩が勃発した。 日蓮が法門を明確に示してないのが原因です。 >それに法主自ら行くのか? いや、相承したからと言うのであれば、隠尊が行くのはおかしいだろう。 法主が行くべきだろう。 大石寺の言い分では、四世?日道に「万一のために相承?され」日目自身も「時の当代法主?として」京に行ったそうです。 天奏は、富士門流として初めて記録があるのは、保田の日郷の天奏でしょう。 おそらく上杉何某の守の案内(紹介者?)があったので成功したのでしょう。 他の僧は、日行など申し状は存在しますが、果たして成功したのか? 多分、紹介者の無いどこぞの田舎の僧の申し状など、京の公家衆は「はいはい、わかりました」程度で、無視されたのでしょう。 どこの田舎寺の坊主か分からない大石寺法主か代行かに会わないですよ。 紹介者も居ないでしょうしね。 日道に相承したのなら日目は当代法主ではなく、隠居になります。 それに万一の為めって、いい歳した爺さんを雪降る季節に京都に向かわせるて無謀でしょ。 にほんブログ村 「自灯明・法灯明」 「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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