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カテゴリ:航海日誌
参照
Re:近畿大会(9)(02/22) 特命キボンヌ さん >「諸天いかりをなし、乃至、大地は大波のごとくをどらむ」と。 これは、諸天の怒りによって、まず大地震が連発するということ。 前から思ってたんですが、日蓮さんの天人観は勧善懲悪みたいで変ですよ。 この部分って、日蓮系とくに大石寺系では善神は正法を護るために怒りをなして、と ホントだと思っているようですが、不動明王とかの密教系の考えですからね。 普通の仏教概念なら天人(神)さんは怒りを持つと真っ逆さまに下の世界に堕ちてしまいます。 ↓ 「天界というのは、楽しみや快楽を食にしているんです。だから皆様は天界に生まれ変わったら、そこで遊んだり音楽を演奏したり踊ったり歌ったり、性的な行為を思う存分やったり、お腹いっぱい食べたり、そういうイメージで「楽しいそうだな、天界に行きたいな」と思われるのではありませんか。 でも本当は天界では、そういうことをしないと死ぬんです。彼等は楽しんでいる訳じゃなくて必死で生きているんです。遊ばなきゃ死ぬ。音楽の波動で生きている神々はちゃんと定期的に、決まった時間にその音楽の波動を食べなかったら死んでしまうんです。」 http://www.j-theravada.net/kogi/kogi22.html 「←参照」 ね、ちゃんとした仏典に即した話を読まないと騙されますよ。 日蓮聖人(ひじりびと)の仏教観は、邪教とか言ってる教えを利用している無節操な仏教ですね。 諸天の罰て言うのか、瞋ですか。 仏教の諸天、諸菩薩などの中で、密教部の明王だけが持っている、怒りによる改悔させる力。 そっちの方に近い思想ですよね。 また、仏罰て淺井昭衛は言います。 正宗では言っていたか? 創価学会は言っていたか? この辺が気になりますが、言っていなければ淺井昭衛オリジナルになります。 でも罰を与える仏など存在しませんから、日蓮大聖人と言う聖人(ひじりびと)は、人でありながら仏と嘯く、偽仏となります。 日蓮さん本人は、仏とは言ってないから、仏と担ぎ上げている人々が問題ですね。 嘘つきと言えば淺井昭衛の代名詞とまで言える言葉ですが、宗祖日蓮さんも負けず劣らず。 残された遺文を見ると出てくるわ、嘘の証拠が。。。 なにも分からないだろうと思う信徒には、デカイ事をいって大風呂敷を広げていたり、困った聖人(ひじりびと)ですね。 でも、世捨て人の聖人なのに世を捨ててないのだから、これまた困った人です。 そんな困った人の弟子の中で、こてまた、正当派を主張する日興門流も大変困った集団です。 日蓮さんの御遷化記録も改竄したのか? あとから作ったのか? 辻褄が合わない部分があります。 そうあんると、日蓮日興の流れは、嘘詐りを血脈相伝する宗派なのかなと思ってしまいましたよ。 正直て言葉が似合わない大石寺三兄弟は、不妄語戒がある仏教に似つかわしくない。 だから偽仏教とか似非仏教と言っても良さそうですね。 さて、日蓮系だけをネタにするのも偏りがあるので、他宗のお勤め。勤行を少し覗いてみましょう。 大石寺系教団以外は、最初には開経偈と言う偈を読みます。 これから、お勤め、勤行をします。と言う、宣言ですね。 「開経偈」 ○無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう) ○百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう) ○我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ) ○願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ) でも大石寺系では「開経偈」は読まないで題目を三唱してから勤行て流れです。 たぶん、法華講員辺りだと、題目三唱がこれから勤行を始めると言う宣言とか言いそうですね。 それか鈴を鳴らして宣言とするか? でも、これを現代風に置き換えると、 祖父母の家にいきなり押しかけて玄関前で大声で叫んで(題目)呼び鈴(鈴)をならして家に上がり込んで、いきなり用件(読誦)を話し出すと同じでしょ。 他の宗派だと呼び鈴を鳴らすか、かけ声を掛ける。(こんにちは、ただいま) そして家に上がってから、挨拶(開経偈)を伝えてから用件(読誦)するて感じですね。 でも、用件を話す前に誓いとか行うところが、大石寺三兄弟とまた違うところ。 懺悔文、参照 「偈文」 我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう) 皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち) 従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう 一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ) 「現代語訳」 私が昔から作ってきた色々な悪い業は、 遠い過去から積み上げてきた、貪瞋癡すなわち三毒によるものです。 それは、体で行った・話した・思ったという三業から生まれたのです。 私は今、それら全てを懺悔します。 仏様に懺悔(さんげ)する誓いを伸べるっていいですよね。 ちなみに顕正会では懺悔(さんげ)を懺悔(ざんげ)と邪教読みします。 次に三帰依文とか、宗派で多少の違いが有るみたいですが、仏法僧に帰依する誓いの言葉を述べます。 十善戒・四弘誓願とか仏教徒としての誓いを伸べるのがほとんどですね。 でも大石寺三兄弟は、末法無戒だから誓いの言葉など述べない。宣言しない。 宣言もしないのだから菩薩戒がない、偽菩薩となりますね。 あとは宗祖の教えとか讃歎で、和讃を読んだりするところがほとんど。 でも、日蓮さんは、そう言う教えを残してないから、読むものがない。 教えがあるとか言う、そこの三兄弟。 御書は教えではないですからね。 あくまでも遺文。残された手紙であり、個人に与えた私信です。 信徒全員にとかそう言うのがない。 多少はあるかなと言える物もありますが、それでも小さな集団単位。 有力信徒に与えた手紙をみんなで読んでね。て程度でしょ。 信徒全員ではなく、一部だからね。 こういう部分が、他の祖師より劣ってる部分。 にほんブログ村 「自灯明・法灯明」 「願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし、 我らと衆生とともに仏道を成ぜんことを」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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