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倖和(サチナゴム)の妄想小説・・・

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2009年06月19日
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カテゴリ:ブログ小説
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↑ストーリーをつくるのは本当に面白いです。これでオリジナルな漫画かイラストが書けるといいのですが・・・がんばります!

坂の上の雲と戦争ゲーム
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日露戦争ゲーム

今日のノート

大敗 家康

戦争では勝ちすぎないことが大切です。武田信玄も六分勝ちを一番よしとしています。勝ちすぎると油断が生じて深刻な負け方をすることが多いそうです。

信玄の息子、勝頼は常勝武田の一流軍団を引き継ぎ、それなりの戦果を上げます。が、長篠合戦で大敗しそのまま自滅する形で信長に滅ぼされました。が、勝頼の直接の死の原因は家来の裏切りでした。信長は勝頼の首級に毒突いたと伝えられています。その信長も右腕だった明智光秀の謀反に遭い、勝ったままの態勢で滅んでしまいます。

その点でいうと家康は天下分け目の関ヶ原で大勝利したとはいえ、そこから天下を安定させるまで14年かかっています。その上、大勝利といっても老舗大名の薩摩や毛利などを滅亡させることはできませんでした。彼らの子孫が後に江戸幕府を滅ぼしてしまいます。また敵対した上杉家や目の上のたんこぶだった前田家も滅ぼしませんでした。滅んだのは石田三成らの若手官僚や小大名達です。それと豊臣家から家康に鞍替えした福島正則、加藤清正らの強力大名達です。彼らは後に改易されてしまいます。

家康は結果として滅ぼしたい相手が自ら下手を打ち自滅するまで泳がしておきました。そして戦ではなく法によって葬っていったのです。秀吉の子、秀頼も生き残ろうと思えば、信長の弟、織田有楽のように生き残れたでしょう。しかし、淀殿のヒステリーのおかげで運をどんどん落とし自ら利点を捨て去り滅びました。象徴的なのが冬の陣の後の内堀(総堀)の埋め立てです。戦ではなく交渉で滅ぼされたのです。

戦では決定的に敵を滅ぼさない、勝ちすぎないのが大切です。家康はどこまでそれを意識していたのかは分かりません。本当は戦下手だったのかも知れません。本人は凡人であるという自覚を持っていたとも伝えられています。名将というのは江戸時代に創作されたことかも知れません。しかし、それが徳川の治世を安定させ、江戸の文化を花開かせたのは事実です。

競馬でもパチンコでもビギナーズ・ラックで大もうけした人が後に大金を失う話は結構あります。勝ったためにその味が忘れられず、負けを認められなくなったのでしょう。賭け続ければいつか勝てると思ってしまう。それで多重債務者の仲間入りです。これで本当に人生の敗北者になってしまいます。

ギャンブルでは勝つ必要はありません。負けていないという感覚が大切なのです。例え目の前の目が外れてもそれで負けではありません。「負けたら止める」というのは「負けていない」と思いこめるからできるのです。でも、どうやって?









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最終更新日  2009年06月19日 21時29分03秒
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