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倖和(サチナゴム)の妄想小説・・・

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2022年08月10日
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カテゴリ:社会
8月は平和教育ラッシュの月です。夏休みでも平和登校と称する日があってその日に先の大戦の敗北について学ぶことになっています。
 
 日本の平和教育の場合、圧倒的に多いのは原爆をはじめとした戦略爆撃による被害です。空襲の体験なのです。もちろん戦争の悲惨さは空襲だけではありません。満州国のあった大陸でもソ連に追い立てられて多くの人が逃げる途中で殺されましたがそのことはあまり触れられません。大陸では日本人は占領した側という加害者の立場だからかもしれません。殺されても仕方ないというわけです。また原爆の被害もアメリカが悪いという話はなく、あくまでも軍国主義の日本の自業自得であるという感じになります。それで日教組の行う平和教育は偏向していると批判を受けることが多くなりました。
 
 平和とは何かというのも良く考えてみると難しい問題です。しかし戦争とセットにして考えないと平和は語れません。平和とは戦争のない状態をまず表すからです。日本の平和教育の場合、軍国主義の日本を批判することが出発点でした。全ての戦争被害の責任は第一義的に軍国主義にあるとしました。最近では日本でもアメリカの残虐性が批判されるようになりましたが、原爆の式典でアメリカを批判することはありません。しかし真の平和を考えるなら原爆の投下の是非を問うことは避けられないのです。
 
 本当に原爆を投下しないと日本は戦争をやめなかったのか、あるいは降伏しなかったのか、というのは難しい問題です。ルーズベルトは日本に無条件降伏を求めました。これには米国政府内にも反対がありました。条件に明確に天皇制の維持、すなわち国体の護持を認めた方がいいという意見がありました。国体の護持すらも認めなければ日本は死に物狂いで抵抗するだろうし連合軍側の損害も大きくなると考えました。でもルーズベルトは頑なでした。そのルーズベルトが病死しました。副大統領のトルーマンが引継ぎ日本をどうするかの議論は続きます。そしてあのポツダム宣言が出されました。日本軍に無条件降伏を求めたのです。日本のマスコミは強気に笑止と馬鹿にしました。つまり当時の日本は国全体が見事に軍国主義に染まっており国民自体が神国日本を信じ降伏することは考えられなかったのです。もちろん連合国軍も日本の拒否は織り込み済みでした。それが核攻撃を招いたという考えがあります。降伏決断の決め手はソ連の参戦でした。平和交渉の手段が尽きたと日本は観念したのです。日本本土決戦は回避されました。ただ連合国軍にとって日本の降伏受諾は予想外に早かったのです。もっと後になると見ていました。軍部もオリンピック作戦と称された本土決戦はやむなしと見ていました。それが覆ったのは天皇のご聖断がなされたからです。
 
 日本の平和教育ではソ連のシベリア抑留は無視されています。ルーズベルトの強引な無条件降伏の考えも無視です。天皇の聖断も無視です。あくまでも軍国主義批判を主軸に置きました。のちには中国共産党や北朝鮮を正義の味方扱いにする流れができました。日本に社会主義革命が起きアメリカを追い出したらもっと平和になる、という願望が混じりました。その流れの延長線上に沖縄基地問題とかがあります。平和構築というよりは社会改革という意味合いが強いものでした。安保反対という考えです。
 
 しかし現実は厳しい。理想論は脆くも崩れます。地上の楽園だったはずの北朝鮮の惨状、中国共産党の覇権主義や人権侵害の動きが座視できないものとなり日本の平和教育は変質しました。真の平和を思考するバランス感覚は失われ被害者意識、すなわち空襲の被害のみが強調されるようになりました。戦争中の国民総軍国主義の反省はうやむやにされました。いくら統帥権の問題があっても国民が自らを煽ったのが問題だったのです。
 
 被害者教育だけでは平和はきません。戦争も庶民のレベルでは災害と同じで突然襲われます。津波も地震も大雨もミサイルも爆弾も関係なく人を傷つけるのです。しかし知恵があればその被害を軽減することはできます。復旧も容易になる。だから防災同様ミサイルに対する防衛も広義の平和教育となるはずなのです。外交交渉はもっとそうです。災害と違って相手は人間です。交渉することで平和を引き寄せることができます。それは歴史に学ぶしかありません。本気の研究が必要です。
 
 日教組の狙った平和教育は失敗しました。はだしのゲンとか蛍の墓とか反戦の名作は感情に訴えかけます。しかしいずれも被害者意識を強化するだけなのです。それだけでは平和を本気で考える教育にはなりません。平和教育は総合教育であり理系・文系を網羅する総合学問なのです。学校教育がつまらないものの原因の一つに平和教育の形骸化があると私は考えています。特定の政治思想に関わりすぎたのです。

Destiny OP Destiny 体験版を遊びつくしてみた。
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↑ストーリーをつくるのは本当に面白いです。これでオリジナルな漫画かイラストが書けるといいのですが・・・がんばります!
もう一つのアリとキリギリス
by 倖和(サチナゴム)





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最終更新日  2022年08月10日 20時20分28秒
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