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木村聡子

木村聡子

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デビュー10年目の今年は正念場です。一昨年、一念発起でとにかくガムシャラに出来ることを何でもやろう!と決心して手当たり次第にお給料無視で様々な活動を始めました。

同人音楽に参加すること、生徒さんが少なくてもカルチャーセンターで抒情歌講座を受け持つこと、たくさんの場所で歌うこと・・・。

1年も経たないうちに、信じられないような形で結果が大きく花開いてきました。この花を少しでも長く咲かせていたい!そう思ってノンストップで頑張っています。

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2011年06月08日
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雨の中、最後の演奏会場「サンビュー宮城」に到着しました。
名取市と仙台市のちょうど境目といっていい場所にあります。

ここは病院と一緒になった非常に大きくキレイで立派な高齢者施設です。
出迎えて下さったスタッフの方々はとても丁寧で親切でした。
こちらの要望通りの音響設備を整えて下さったり、演台ではなく床で演奏すると言うと演台をどけてくださったり、ピアノをわざわざ運んで下さったり。
いい環境で演奏できるように最大限気を遣っていただき、本当に感謝です。

最初は50人くらいと聞いていたお客様も、最終的には100人超えの大盛況。
車いすの方も多いですので、職員の方達はほぼ総出で利用者の方を連れてきて下さったのだと思います。

08-01.jpg


今回の東北ツアーでは初めての生ピアノと大きなスピーカーでの演奏は気持ちよかったです。
中には職員さん向けのJ-POPも織り交ぜたりして。
おかげでとてもコンサートは盛り上がりました。

約40分のコンサートをやり切り、アンコールも終えて、この旅行の力を出し切ったと思ったときでした。
ひとりの女性のお客様がマイクを持ち、こう言いました。

「コンサートありがとうございました。
私はゆりあげ地区に住んでいました。
津波で家を流されて失い、娘も天国に行きました。
それで、サンビュー宮城でお世話になっています。」

突然のことでなんと言っていいかわかりませんでした。
私たちはここを避難所として利用している方がいることは知りませんでした。

「私も歌をずっと歌ってきました。今日はコンサートのお返しに私も歌わせて下さい。
曲はこいのぼりです。」

この日は5/12。子どもの日の1週間後でした。
後に施設の方に聞いてもらって分かったのですが、村田英雄さんの「祝い節」という曲でした。


  さあさ みなさん
  手拍子 手拍子 手拍子を 
  かわい初孫 あと取出来た
  めでためでたの こいのぼり
  登れ天まで 元気よく
  あすのあすの あすの日本を 背負っておくれ


大きな声で最後までしっかりと歌い上げたあと、彼女は「天国の娘にも届いたと思います」とおっしゃいました。
私は、この曲の歌詞が、どうしようもなく彼女の願いがこもっているように思えて、涙があふれてきました。


今回の東北での演奏では、絶対に泣かないで演奏をやりきろうと決心して東京を出ました。
私は泣きに来たのではなく演奏しに来たのです。
一時でも辛い現実から逃れられる夢の世界を感じてもらうために歌をうたいに来たのです。

ですから演奏する際に聞いて下さるひとりひとりに具体的に被災状況を聞いたり、想像したりというのはあえて避けてきました。
聞いたら絶対に泣いてしまう。
辛いのは私じゃないのに泣くのは失礼だ、それに演奏もできなくなる。
だから目を背けながら演奏に集中してきました。

しかし、この女性のこの歌と話を聞き、今回訪れた4カ所には、それぞれこの女性と同じような境遇の方たちが大勢集まっていたのだということをあらためて思い知ることとなりました。

私の小さな想像力ではそれがどのようなものかをリアルに知ることはできません。
けれど、想像しようとすること、また少しでも助けになりたいと思い、そして実際に行動することは全くの無意味ではないと思います。
いや、わかりません。そう思いたいだけなのかも知れません。

けれど、ひとつ言えるのはこの女性の強さの理由のひとつは彼女の中に音楽があることです。
私が歌う音楽のことを言っているのではありません。
彼女が歌う彼女自身の歌の力が生きる力を呼び起こしているように思えてなりません。
(そういえば、祖母が亡くなったあとに残された祖父もカラオケを通して明るく生きることができています。)

娘さんと家をなくすという不幸にあってなお、このように大きな声で歌うことのできる彼女を通して、人間というものの強さを知りました。
私ができることがあるとすれば、被災者の方々の中にある強さをほんの少しの刺激で思い出してもらうことなのかもしれません。
すべてのひとに当てはまるかどうかはわかりませんが、そうやって力を振り絞るきっかけに音楽はなれる場合もあるのではないかと思います。思いたいです。

と、同時にそれが音楽ではなく、絵であったり書物であったり映画であったり、何か他のものであったりと、人によって様々な心のよりどころがそれぞれにあるのではないか、だから音楽家やエンターテナーだけではなく、多種多様な心の支援を行うひとたちの手がもっともっとあるといい。そう思います。


4カ所の演奏で私ができたことなどは、本当に小さな小さなことでしかなく、その小ささと「ただの自己満足ではないか」という自答自問に自分でもくじけてしまいそうな気持ちも無いわけではありません。
しかしむしろその謙虚な姿勢を忘れないで、それでもこの活動を続けることができたなら、もしかしたら何かの意味を見いだせるのではないか、そんな小さな期待を胸に次からの活動もできればいいと思います。


大泣きしながら退場するというなんともプロらしくない幕切れで4カ所の演奏を終え、その日の夜に東北をあとにしました。
翌日はアニメ収録でしたが、東京のあまりの普通さに違和感を感じながらの仕事でした。
仙台駅でお土産に買ったクリーム大福をみんながとても喜んでくれて、私もとてもおいしく食べたのも何となくヘンな気分でした。

あれから3週間あまり。

また、この東京の普通さが自分にとっての普通になってきています。
それは東京で暮らす以上悪いことではないのですが、東北の方々のこともいつも気にかけていられる自分でいたいと思っています。

今回の東北での演奏にご協力下さった、受け入れ先スタッフの方々、協賛企業、寄付を下さった抒情歌講座の生徒さんたち、そして聞いて下さった被災者の皆様方、本当にありがとうございました。


7/13~16、2回目の演奏に参ります。
ご依頼ある方、ご連絡下さい。

げんきに歌おう!プロジェクト→http://satoko-kimura.com/genki/
木村聡子宛メール→http://satoko-kimura.com/mail.html
ツイッター→@satokokimura





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Last updated  2011年06月08日 12時46分43秒
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