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カテゴリ:Aviation History
合い言葉は、「星に、七夕」 昭和19年7月7日未明、サイパン島は玉砕した。 265空 三角兵曹の初陣は、1ヶ月前の6月11日だった。米艦載機の空襲は、突然で大規模で、空一面が黒い雲に覆われているかと思われるほどで、とても太刀打ちはできないと観念した彼は、島がはるかに見え隠れする位置まで避退した。これ以上離れると島へ戻れない。近づけば敵に見つかってしまう。無惨な負け戦であった。その後の逃げまどう彼の姿は、想像に難くない。 6年前、マリアナ諸島の戦跡を巡った。あまりにも有名で、悲しい「バンザイ岬」に立つと、日本からの観光客も多く、各県の立派な慰霊碑が観光客の方を向いていくつも建立されていた。立ち去りがたい気分で、しばらくそこにたたずんでいると不思議なことに気づいた。それは、戦後の早い時期に建てられたであろう2つの石碑だけが、まぎれもなく日本の方角を望んでいる。
夕方、モーテル近くの海岸で、鮮やかな夕日と出逢った。巡り合わせだったのだろうか、そこは、偶然にも米軍が上陸した地点である。数限りなく、きれいな貝殻と無数の珊瑚だけが、息をひそめるように打ち上げられていた。
(これは、2年前、朝日新聞の「声」欄に投稿したものの、不採用で手元に眠っていたものを、今回一部手直しをして公表したものです。 あまのぢゃく)
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Last updated
2008.07.07 22:39:29
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