巡る季節にたね蒔いて🌿 流れる時間の中のひとり言
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運河のはずれのロマン漂う石造建築:旧日本郵船小樽支社 小樽の運河は大正12年にはしけが倉庫近くまで入れるように作られたそうです。 掘ったものではなく海岸を埋め立てて作られたので緩やかなカーブが見られます。 時代は変わり埠頭が整備されるとその使命は終わり、一部が埋め立てられました。 運河の半分は道路となり、散策路が整備されたとのことです。 運河沿いには古くからの建物が並びレストランやカフェになっているものもたくさん。 500メートルほど運河脇の散策路を行くとその先は北運河です。 北運河は40メートルの幅があり昔の姿をとどめています。 そこにはこの日お世話になる 青の洞窟クルージングの船着場があります。 この辺りは運河の幅が広いので船を繋留しておけるのだそうです。 北運河のはずれには運河公園があり赤い靴の像や休憩所、トイレなどがありました。 公園内は夕刻近くということもあって人はまばら。 でもポケモンGOをしている人がスマホ片手にあちこち歩き回っていました。 この公園に入るとすぐ正面に旧日本郵船の歴史ある石造建築が見えました。 外壁の石材は小樽の天狗山産と登別産で厚さが75センチもあるのだそうです。 外見はそんなに厚壁と聞いても信じられないほどの優美な印象です。 あらら、時間はもう4時半を回っています。 閉館時間は5時、急いで入り口に向かいました。 国の重要文化財に指定されているこの建物の見学は入館料300円。 ボランティアガイドさんが出てきて時間のない中案内をしてくださいました。 まず入り口を入り、客だまりであったところでスリッパに履き替えます。 応接室があり隣の支店長室が入館チケットの売り場になっていました。 そこの左は一階部分のほとんどを使った営業室です。 この建物は近世ヨーロッパルネサンス様式というのだそうで、 純石二階建て、内部は漆喰壁に道産木材を使いワニス塗装でしっとりとした印象です。 窓ガラスは二重で隙間風止が付いていて室内は全てスチーム暖房、窓にはシャッター、 明治39年(1906年)の落成とは思えないほどの設備です。 昭和29年まで営業をしてその後約30年間は博物館として活躍していたようです。 昭和44年(1969年)に明治後期の代表的石造建築として重要文化財の指定を受けました。 営業当時はその時代では珍しい可動式照明が行員一人一人に照明器具が使われました。 電球はエジソン球で先のとがったものでした。 円柱はコリント様式でとても優雅です。 営業室の奥には金庫室がありました。 6畳ほどの広さでしょうか、天井は高く窓はありません。 壁は75センチの厚さの石材なので、閉じ込められたときの脱出口がありました。 正面入り口から入る一般のお客様はこの営業室で対応をするのですが、 貴賓客や会議のためには二階が当てられ入り口も違うところにありました。 その入り口を入ったところに階段があり二階へ上がります。 階段や調度に使われている木材は北海道産のセン、タモ、マツで 繊細で優美な木彫りの技術が見えます。 驚いたのは大階段の手すりのカーブ部分です。 滑らかにカーブした部分は枝ぶりがこのカーブに合うものを選んで付けたのだそうです。 てっきり丸太を削ってカーブを付けたのだと思っていました。 触り心地が滑らかな手すりを当時の貴婦人の手が滑っていくのを想像しうっとり。 階段を上がった貴賓室は床が寄木造りで深紅のカーテンがかかり重厚な雰囲気。 天井は漆喰の淡いブルー、シャンデリアが輝く天井の中心飾りも他より豪華です。 暖炉がありますがスチーム暖房、彫刻入りのラジエーターはなんともおしゃれ。 壁紙は今はくすんで見えますが金唐革紙といって和紙で作った革に似せた壁紙だそうです。 一部が当時の色を再現するため補修されていましたが、豪華な中にも優しい柔らかさが。 金色に輝くその壁紙は優れた工芸品として欧米にも輸出され大評判になったということです。 隣の部屋は会議室です。 会議室の広さは60坪ほどでとても広いのですが柱が一本もありません。 緩やかに弧を描く卵色の天井はつり天井なので柱のない悠美な空間を演出できるのだとか。 そこにあるテーブルの大きさも他にはないほどですが、 そこにかけられたテーブルクロスが一枚布であると聞き感心してしまいました。 もっと瞠目したのは絨毯です。 床に延べられた絨毯も京都で織られたもので、継ぎ目のない一枚織。 60畳を覆っている絨毯を見るのも初めてでした。 このテーブルでは日露戦争後、ポーツマス条約で半分が日本の領土となった樺太の 国境線を定めるための打ち合わせの会議が明治39年11月に行われたそうです。 数日にわたる会議の終了後、日露の委員たちは隣の貴賓室で祝杯を交わしたと言います。 なんとも壮大で悠然とした時代の流れを感じられたひと時でした。 会議室のカーテンもなんとも言えず優美でありました。尋ねるとスエーデン製とか。 壁の一番下が一筋金色に輝いていました。 これはくすんでしまった壁紙の金唐革紙の一部を磨いて復元したもの。 当時は壁全体がこの金色に輝いていたということですから、 いかに豪華であったか想像するだけで目がくらみそうです。 石材や材木は純国産、設備や絨毯、壁紙を除いた内装は米国、西独、などで、 当時の海運業の隆盛と商業施設としては群を抜く設計と優美さに言葉をなくすほどでした。 会議室の隣の資料室にはその会議の資料や国境標石が展示されていました。 「樺太国境画定会議」で定められた国境には一番上の線が北緯50度を示す標石が置かれ その標石の日本側には菊の御紋章、ロシア側には皇帝のシンボルが刻まれていました。 資料室を出て廊下を行くと壁にガラスの影が映っていました。 全て手作りのガラスはオランダ(ベルギー?)産で一つとして同じものはありません。 ガラスを通して見ると景色がゆがんで見えるのも年代を経た手作りを感じさせてくれるのですが、 こうして陽の光がガラスを通して映る様を見るのもなんとも味のあるものだと感じました。 メインの建物の他に渡り廊下でつながっている瓦葺付属舎があります。 ビリヤード台のある球戯室、倶楽部、看貫場(計量室)、炊事室などがあるようでしたが、 もう閉館時間になってしまったので見学することができませんでした。 ほんの20分ほどの短い時間でしたが時代の夢を感じられて有意義な時間でした。 最後にガイドをしてくださったボランティアさんと記念撮影をして再訪を約束しました。 さあ、いよいよ楽しみにしていた青の洞窟へのクルージングです。 いったいこの建物には何トンの石材が使われているのかを聞き損ねてしまったのですが この次にきっと尋ねてみようと思いながら船着場へ急ぎました。 次は青の洞窟クルージングのことを書こうと思います。 最後まで読んでいただきありがとうございました。 ランキングに参加しています。 応援してくださいね。
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Schiaparelli de Cocoの気まぐれなブログへようこそ。 今日という一日は否応なく流れ去っていきます。そんな時間の中で留めておきたいこと…想うこと…まわりの動植物…過去や未来への瞑想…思いのままにつづります。