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「メディアが悪い」という批判がどの程度広がっているのかは知らない。
メディアが王様として、他を批判しているのに比べればかわいいもんだろうなあ、とかってに想像している。 しかし、あっちこっち批判の派閥対立にならないうちに言っておこう。 こっちが原因であっちが原因でないというのは、どの立場からであっても、嘘だと。 漢方と西洋医学、その中でも刺激と休息、衛生学と細菌学と手術法と、いろんな要素があるんだから。 私も映画を批判しているけど、15禁映画であるということが破られているということが、始めのポイント。 マナーとは、真の原因がなんであれ、それの暴発を防ぐためにある。始めから原因の除去ではなく予防策。まあ、ふつうのマナーを知る程度で防げるというのはたぶん甘く、もっと深い部分があると思うが。 それがわかっても、これが深い真の原因だ、というのは、みっつやそこらありそうだ。 なぜなら、 「真の原因というのは、人間がまだ知っていない原因のことで、知っていることなら、今回の問題視されている真因ではないと言われる」(私観) という答えを出したがる欲求があり、 「なじんだ適応したことと、わかりよく繋がらなければわかったことじゃない」 というたぶん平均的基準があり、 「本人にとってのその時点の比重が高いということと、現象として生じる理由とは別だ」 という1歩引いたポリシーもあったり ついでに 「商売上のつ合」 とか 「真実はわからない」 ということもあって、 一つの理由が出ただけでは、どれだけの人間が納得するものやら。 ホラーやネットの複合作用は確実に、「新しく知らねばならない」ものに入るはず。 しかし、人がすべてを知って解決せねばならないというのは、人の思い上がりかも。 真因がわからないままに対処もあるわけだし、また、臭いものにふたをするというのもあるし。(^ ^;)じゃあ、どうしましょうか?) サラ金が悪いと言うより、借りる者がその時点でどうしようもないんだ、ともいえるでしょう。 金に困らないように考えてやるべきだともいえる。 でもちゃんとサラ金に対する法律は整備すべきだし、それを知っておくべきです。 (しかし夕べ(火夜)週刊誌を立ち読みしたりネットニュースを見たりしたら、我ながらちょっと情報不足ぎみを反省。 始めに勢いで書いたのにつけたしが続いて効率が悪い・・) ところで、 少年法というのは、単に本人の責任能力がないからだけでなく、真の原因をさぐるために証言に打算をつけさせないようにという計算もあるだろうなと思う。 実のところ危険なことをしでかす衝動というのは自分にもあるしあった。 だが、実際の計画的行動に出ることは難しい。 それは、何を考えるにしろ、自分の中に「周囲」を吸い込んでしまっているからだ。 周囲を吸い込んでいる自分は、計画的な行動に行動習慣として出にくい。 周囲が異常に感じるのは、本人にとっても異常なんだと思う。 人間は内面心理だけではない、・・・だけど内面心理だけで行動できてしまうなら、生物としておかしいと思う。 この子が暴発しやすい習慣を持っていれば別だ。じっさいそういう習慣がついてきていたらしいが、それでも外部の影響なしに一人で生じるものか? というと疑わしい。 行動習慣があったとすれば、それは言葉の上、映像の上、としか考えられない。それだけで十分外部世界だということになる。そのことをふつうだと---考えては生き物としての正気を失うと、あえて書く。 そして、ネット上の性格は意外な面をさらすことがある。 トラックバック先 ひきがね 夏に集中するのはなぜ 「命の教育」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
人間五十年の節目となっても「衝動」はありますね。十二三歳のころのことを思い出してです。そして気が付くと白日夢の中にいる。
(2005年03月29日 23時36分06秒)
それって、この子のように、「初めての危ない年齢」ということでしょうか。
僕の場合、夢の中の方が現実よりどきどきして、本当の気持ちが出るということはありますね。 中学時分のことをなまなましく思い出すことはありません。 『なぜか中学の頃だけは何をしていたか覚えがないという人が多い』、という人が僕の近い世代の人にいましたが、それに近い。 そちらでやってられる、「方法のカギはプライバシー」、という説の続きを楽しみにさせてもらいます。 (2005年03月30日 22時06分55秒) |
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