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殺人の手口はうつるらしい。
新しかったり流行る手口は使いたくなるんじゃないか。 富山で、二人の女子高生が、包丁を持って、刺す相手を何日も物色。 いったん逃げたし、酒を少し飲むなど弁解工作をしているが、見つかったときにすぐに殺意を認めている。 これは、教育(少年院を含む)や懲役や死刑では無駄な気がする。なにしろそれらは、ことばや時間を失うことや一生の時間を失うこと、でしかなくひどく観念的なのだ。 鞭打ち刑がいいのではと思う。 ● 直接物理的な痛みを想像することが、人の感覚を苛立ちから(瞬間だけでも)救うと思う。 残酷とか精神的拷問などというけども、それは演出次第だ。 昔の刑罰の強い時代の見せしめとして行われたのとは、全く別だ。 もともと、子供のしつけに叩き罰というのは各国でやってたじゃないか。 年月をかけて閉じ込めるよりも、当人への損害はむしろ少ない。 たとえば、 残酷な手口と認められるときに限定。 一度に痛めつけるのでなく、時間をかけて定期行う。 選ばれた坊さんにやらせる。宗教によって、執行役を選択できる。 儀式的な様式を取る。 叩き方は物理的に測定する。執行の事故責任は外部的にはとらない。 (坊さんという意味は、特定宗教のことでなく、人間より上のものへの畏敬を持つお人よし、というキャラクターだから) ● もう一つの理由は、罰を終えた者が、罰をいやがって見せる姿を、他人が想像できるかだ。 凶悪犯の場合、それは刑期だけでは想像できないだろう。 想像できなければ、うつりやすい。 反論・参考など 根本的な解決にはならない? そうともいえない。 世の中の雰囲気に与える影響こそが根本的な解決に近いだろう。 姿勢を示すこと。それもケンカのような罰でなく、文化?的な匂いをもつこと。 学校では「命の教育をしていたのに」だそうだ。 個別の心のケアは難しいそうだ。 そうだろうね。 顔を叩くことでさえ心を傷つけるのに、鞭打ちなんて反省させられない? 顔は人格の象徴だが、胴体以下は身体なのだ。胴体へのナルシシズムを人格と認める価値はない。 それで恨みを持つとしたら、どのみち反省を期待できないだろう。 ● 戸塚ヨットスクールの、「肌で危険を感じることが、間脳を刺激し、生の意識を取り戻させて、不良化しなくても人生を楽しめるようになる」、という理論もあったな。 -------------- 少年犯罪と別に、 犯罪をおかすことしか人生に望むことがないらしい連中もいることだし。 死刑の代わりにもできそうだ。人道的だと思うが。 ただ問題は、 1中国・朝鮮が、日本人はやっぱり残酷だとか、軍国主義の復活だとか、あおりに使いかねないこと。 自分たちの実態をさておいて。・・・まあ、凶悪外国人犯罪にも使えるなら、それでもいいか。 中国人犯罪は強制送還だったが、その辺は交渉・調整の話だ。 軽犯罪にも鞭打ち刑があるシンガポールは、だいたい漢民族だし。 2罰を感じるようになると、罪を隠そうとする。より巧妙になる。・・・しかたない。 3自動虐待を正当化する親も出る・・・程度問題だが。 総目次 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
初めまして。私のHPの「最新訪問者」からお邪魔しました。
今の子供の中には、「どうせ俺たちの年じゃあ、捕まってもすぐに出られるから」と恐ろしい考えを持って犯行に及ぶ子供もいるそうです。 実際、日本では14歳未満では刑事罰は問えない事になっているので、「例え人殺しをしても、子供は死刑にはならない」と言う曲解も出て来る訳です。だから、例え子供でも、「悪い事をするとこういう事になるんだ」と言う見せしめの様な事も必要なのでは。ただ、厳罰主義が必ずしも平和な世の中を作る事にはならないとも思います。 (2004年07月24日 23時51分40秒)
イタバシストさん
いらっしゃ~い。 そうですね。 ここで書いているのは、復讐や恐怖で秩序を維持しようとするよりも、教育者のしつけ鞭に近いものです。 だから、文化的様式が大切です。 成人の凶悪犯罪に対しては、原則的にはあてにはならないでしょうが、悪くもならないでしょう。 被害者の復讐欲を押さえるわけで、大変な慰謝料を家族に求めるよりもいいのではないでしょうか。慰謝料は自分の体で払え、と。 ひょっとすると、被害者が家族に大金を請求するのは、加害者が出所したときの更正基盤を壊している面もあるかもしれません。 だったら、自分の体を使って、慰謝料分を軽くするべきでしょう。そうできるようにさせてやるべきというか。 ただまあ、鞭打つ側が、自分で厳罰主義に頼るとかえって逆効果にもなるかも。 そのためにも、宗教者を介在させるのが役に立つかもしれません。 (2004年07月25日 02時52分57秒)
素一さん、こんにちは。
鞭打ち罰の提案、さすが、着眼点が良いですね。 低年齢化で、凶悪事件が出始めてる昨今、“罰”は必要かな・・・と思ってます。 私が日頃考えている罰は、14才未満ならば・・・ 親も一緒に・同等に・罰を受けるのが妥当かと。 二度としない・犯罪を犯したくない・気持ちにさせなくては意味が無いですもんね。 ただ、なかなかその罰が思い当たらない。 お坊さんは良いですね。 毎日毎日、座禅を組ませて説教を繰り返し受けるだけでも、効果はあるように思います。 (↓こちらは現実味が無いですが) あとは、バーチャル・ゲームみたいので、自分がやった犯罪と同じ事を受身として体感させ、被害者の恐怖心を知らせる。 催眠術をかけて、悪行を想像しただけでも吐き気がしてくるとか。 ・・・でも、精神が壊れるかな? (2004年07月26日 01時33分33秒)
ローズ2004さん
ありがとうございます。 夜中にあれこれやって足跡もつけたりしてたら、ハングアップしてしまいました。 ------------------ 親も一緒とはいいですね。世の批判も収まりやすいでしょう。 親子の共有体験は、なかなか年が離れ立場が違うと同じものも同じになりにくいけど、これなら同じだという感じになるでしょう。 座禅と説教の最大の問題は、他人から見て楽そうにしか見えないということですね。 バーチャル罰の欠点は、信頼していた者にのどを切られて一瞬に死ぬ場合、ただのホラー経験でしかなく、逆効果が考えられることですね。 ただ、攻撃衝動に対して電気ショックでそれを抑制するくせ付けを与えるというのは、できるかも。オウムが記憶操作に使ったやり方です。 問題は、これが「何人であっても」保証される基本的人権に反するかですね。 凶悪犯以外ではやり過ぎみたいだし。 禁固期間を短縮するのと引き換えに本人に選ばせるというのならいいか。 選ばない凶悪犯は明らかに危険だから、禁固期間が長くなると。 これはロボトミー手術と違って、荒っぽいものではありません。 微妙にプログラムを調節して手直しできるもので、人権をクリヤーするのはプログラム次第で可能でしょう。 (2004年07月26日 17時35分29秒)
ところで再犯率が高かった気がします。
刑務所・少年院がまともに更正させる能力をもたずに、古いマニュアル頼りに一生懸命やっていればいいとだけ思ってるのではと思います。 『人権』の立場を無視して、人の心理学・脳生理学・教育法の先端から捉えなおすことが必要ではないでしょうか。 『専門家』というものにまかせる官僚行動の発想からは、今まで無能を証明してきた人たちを中心にしやすく、「どうしようもない」ということしか生じませんね。 (だいたい、厚生省・文化省的な視点から法務省が考えること・・・だめだこりゃ。) 人権は、最終調整で考えればいいこと。 まあ、つかまった後すぐに反省しなかった者が、刑期期間に反省する率を高められるのか?という見方もあるけど、それに挑戦するのが人間というものと。 (2004年07月26日 17時36分30秒)
もともと懲役刑というのは苦役労働だったのが、現代では職業訓練になっているようですが、現在ではその程度で本物の職業の役に立つことは無理でしょう。
それとは別の効果を考えているんでしょうが。 訓練技術としては介護なら・・・しかしこれも人を油断させてつけ込み方を教えるという危険があります。 技術を与えるためには、当人の資質の養成もあり、刑務所も精神論でないシステムを組む必要があります。 でないと、犯罪者→能力的に落伍者、となって再犯に結びつく可能性はあります。 で、悪質な犯人が、そんな特典を受けて出所というのは問題だし、長期残らせても無駄になるし、正直鞭で打つようなのが最も誰にとっても幸せなやり方だと思います。 電気ショックは、モノ扱いのようでよくない――もっとも凶悪犯には、その方がいいか。 (2004年07月26日 17時37分31秒)
私は、罰とは復讐の代替わりで終わるものでなく、であるべきだと思います。
自分がたまたま罪を犯していないだけとか、ひょっとしてすでにやっているのを事故だ、同じ結果だったとごまかしているのだとか、これから絶対やらないとか言えないとか、・・・ そう思うなら、弁護だけではなく、罰の後の浄化も欲しいと思います。 復讐・人権・権力、の三つしか語られてない気がして、合理性とぎすぎすしていることとを取り違えている気がします。 (2004年07月26日 17時38分18秒) |
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