「新 キャリァ論」その十四
それでは、現在の私達は何を「不易」なものとして捉え、新しいパラダイムの核として据えたならば良いのか?私・草加の爺はこう考えます。先ず第一に、地球村の出現を前提にすべきである,と。すると何が、どのように違ってくるのか?ここでも私が最初に指摘したいことは、私たちの心の在り方、心構えの問題でありますよ。様々な宗教や国ごとの信条や国是などを一旦は離れて、「地球村の掟」乃至は「地球教」とでも言った新しい規範を想定して、その新規範に則った考えや行動を優先させる方式です。しかしながら、そうは言いましても、具体的にはどのように考え、また如何様に行動すべきなのか、実際問題としては始末に困ってしまう問題であることには変わりはありません。私が提案しようとしているのは、国際連盟とか国際連合とかの国際政治の仕組みの改変などではありませんし、エスペラント(人工的な国際共通語)のような中立的な国際化を希求するものでもありません。これは飽くまでも個人の心の問題であり、個人としての生き方のレベルでの問題提起なのでありますね。 新時代の 仕事の動機 に対する提案 現在までの起業の目的は、それが一個人であれ、グループや集団や巨大な組織であれ、一様に 利潤・利益 が唯一の目的でありました。それは極めて単純明快でありますよ。勿論、国や地方公共団体などの公的な企業の活動もあることはありますが、資本主義経済の下では圧倒的に営利を目的とした私企業が、企業活動・経済活動の大半を占めておりますね。少なくとも、これまではそれで済んでいた。と言うよりは、それで済ましていた。しかしながら、これからはそれでは立ちいかなくなる。利潤や利益第一主義では世の中が上手く機能しない。トータルとして人々の、地球村の住民の幸福が保証されない。担保し切れないのですね。利益をあげる目的で物を売り買いする商売の手法だけでは、絶対的な限界が既に出尽くしてしまっている。しからば、どうしたら良いのでしょうか…?何も難しく考える必要などありませんよ。余裕のあるものが、困っていたり、苦しんでいたり、手助けを必要としている人々に進んで、手を差し伸べればよいのです、はい。言ってしまえば実に簡単なことなのですが、現実には必ずしもそうではない。従来の 常識的な思考法 に囚われている我々にとっては、却って至難の業といっても良いかもしれません。しかし考えてみるまでもなく、いやしくも人のため、社会のために役立つ事であれば、それは利害を度外視してでも行うだけの価値が有るはずであります。お金にならないからと言って、手をこまぬいていて良いわけがないのですね。義を見てせざるは勇なきなりと、昔の人も教えていますよ。如何ですか? ― ここでもう一度、人体に於ける癌細胞の振る舞いを思い起こして見てください。そうです、己だけの 永生 を希(こいねが)う利己主義の権化のような活動。人体全体との有機的なつながりを一切無視して、己だけの増殖をひたすらに追求し、その果に、決定的な破滅を招き寄せずにはおかない。あの何ともおぞましい癌という存在。前に申した通りに、実に象徴的な行動様式であります、本当に。私たちは、個人として、直ちに従来の思考法を捨て去るべきなのです、たった今、即刻に。そして、身近に、或いは、少しく距離を置いて困窮している者、手助けを必要としている人々を救済すべく立ち上がり、賢明なる行動をば開始すべきなのであります。そう、何よりも先ず 行動 を!自己の都合ではなく、他者の「都合」に合わせた有効なる手立てを講じるのでありますね。又もや、ここでも古人の教えを繰り返す必要があるようですね、曰く、情けは他人(ひと)の為ならず、と。そう、他人のためを思ってしたことが、回りまわって最終的には自分自身の為となって、大きな、そう何倍も大きな利益や幸いとなって跳ね返って来るのですよ、実際の話が。こうした地球村の「村民」同士の相互扶助的な発想に立った義勇の行動こそ、いま最も求められている理想の行動であり、その様な行動様式だけが唯一追求されるべき風潮の醸成が、何をおいてもまず最初に人々の胸中に萌すような時代の確立が急務なのです。 出来ること、しなければならない事 私は、営利や利潤ではなく、「他人のため、手助けを必要としている人々」の為になることを、それも「地球村」の立場からして最も緊急を要する箇所・部分への働きかけとして、直ちに行動を開始すべきであると提唱しました。そしてその行動は、驚くべきことに行動を起こした当の当事者の為になるし、結局は自分自身にとってこそ一番の「利益」をもたらす有効な手段となるのだとも断定します、はい、確かに。そして、次に述べる 三点 を取り敢えず提唱したいと考えるものであります。A、教育の大転換 B、『癒し学(仮名)』の実践 C、「もてなし術」の涵養 がそれでありますね。事はきわめて緊急を要するのでありますから、「急がば、廻れ!」の有難い教えに従わなければなりませんよ。今現在、自分に何が出来るのかを確認し、出来る事から直ちに開始すること。そして、同時に来るべき時節に備えて己を鍛え、自己啓発し続けること。出来ること、しなければならない事、とはそういうことでありますよ。故・河合隼雄氏、は「自前のイニシエーシィオン」を各人が銘々に創作し、実践する必要性を訴えておられましたが、同様のことが、私たちの目前に迫っている喫緊の課題にも言えることなのでありますね、実に…。何しろ地球規模の 戦国乱世 に対処するには、これも既に故人となられた小林秀雄氏がいみじくも称された如く、豪傑たるを要するのでありますから。しかし、誰もが 豪傑 である事は出来ませんね、ですから、各人はそれぞれの立場から、今できるベストを尽くす。否、ベストを尽くす覚悟を固めて難局に対処する。或いは、来るべき新たなる難局に備えて、よりよく自分を鍛え、更なる成長を図る。そう言った、多面的な配慮と、活発な行動力の発揮こそが何よりも必要なのであります。