神慮に依る 「野辺地ものがたり」
第 一 回 目 これは、タイトルにも示す通りに「青森県 上北郡 野辺地町」を地球上のあらゆる人々に 知らしめ、そしてこの土地の特色と、そこに生活する人々の魅力を宣伝することが、第一義的な目的であります。そしてそれは神聖なる神様の 思召し によって行われる、非常にユニークな活動なのであります、はい。 著者の 葉月 二十八とはそも、何者であるか?その著者が、なぜこの様な文章を書くようになったのか?何故、今 平成27年でなければならないのか?その他、諸々の疑問が、次から、次へと浮かんでまいりますが、それはこの「ものがたり」をお読み戴く過程で、次第に読者の皆様方にご理解、ご納得いただけるのではないかと、愚考いたしておりますが、取り敢えず、一つの宣言をご披露させていただきたいと、存じます。 これは又、日本古来からの伝統的な 神 のご託宣に基づいて行われる、非常に厳粛な、また未曾有な程に 破天荒な行為と称さなければならない性質のものなのであります。 なんと 大胆な! そしてまた、何と非常識な 言挙げであることか…、著者自身が、書く前からこの様に思うし、ある種の躊躇さえ感じながらの 行動 であるわけなのですが、それもこれも「神様の思召し」とあらば、まあ、仕方がないか! ? えいっ、いっそ、この様な 釈明 めいたことなど、一切省いてしまって、「神様の、言う通り!」と、偉大なる演出家を信じて、著者は出来るだけ 面白い 文章を専心に、記述することを心がければ良いのだ―― 、と、自分自身に言い聞かせている次第であります。 そもそもの、きっかけは「かっちゃん」と「えっちゃん」との不可思議な出会い、と言わないわけには行きませんよ、どうしても。 二人のそも馴初めは,昭和46、7年頃、場所は東京の新宿。そして、克征(かついく)が30歳、悦子は21歳、殆ど、出会い頭の結婚でした。つまり、両者共に相手のことを、あまり良く知らない状態で、気がついたら一緒に生活を始めていた。一応、友人知人達が会費制で結婚披露宴を開催してくれた。場所は銀座に近い中央会館。仲人はフジテレビのプロデューサーの能村庸一・雅子ご夫妻。主賓には東京放送映画部の橋本洋二氏、俳優の篠田三郎その他…、と書いてまいりますと何か華やかな、豪華な、その種の結婚式と勘違いされるかも知れませんが、至って質素で、慎ましい、そしてハートウォーミングなそれでありましたね。 こんなエピソードがあります。克征は結婚した当時、TBS(東京放送)の月曜日放送の「若い!先生」のプロデューサーとして活躍していましたが、そのメインの監督が元大映の枝川 弘氏でした。世田谷の砧の撮影所で撮影中に、近々結婚しようと思っている女性がいること。そして、その彼女は新宿の駅近くの居酒屋を経営していること、などをお話ししたところ、突然に、「その女性を私に会わせなさい」と仰ったのでした。ベテランの映画監督は若手プロデューサーとして売り出し中の私を非常に可愛がって下さいまして、世間知らずの「お坊ちゃん」が飲み屋のママに「騙される」ことを、過剰に心配されたのでしょう。撮影が終わったあと、タクシーで枝川監督とご一緒して、新宿の繁華街にあるその店に行きました。ノープロブレムでした。監督の誤解は直ちに氷解していました。若い頃には画家を志望されていた監督は、悦子の顔を眺めながら、「なかなかの美人ですよ」などと呟やいて鉛筆でデッサンを始めていたのですから。 余談ですが、私は悦子の「顔」に惚れ込んだわけでは、決してありません。結婚後、九歳近く年の離れた二人の結婚がよほど不自然に感じたのでしょう、殆ど、全員が「美人の悦子に、ぞっこん惚れ込んだ私が、猛烈にアタックした」と思い込んでいたような節が、どうも見受けられました。しかし、それはとんだ誤解でして、真相は、「摩訶、不思議!」、全く逆だったのですから。では、何故、悦子は「良くも知らない」私ごときに、「急激にチャーム」されたのか…? それは、恐らく悦子自身にも解らない、神のみぞ知る、事柄だったのではありますまいか、多分…。