久々に「陰陽師」のテーマを使って日記。
あめみこが「陰陽師」のとりこになったのは、ただただ
「萬斎晴明さんが素敵~・:*:・( ̄∀ ̄ )。・:*:・ポワァァァン・・・」
なだけではありません( ̄▽ ̄:) ま、それも大いにあるけれどね。
人として普通に生活を営んでいくうえで、大切なヒントを教えてくれたような気がしたから。
「普通で平和」そんな人生もなかなか歩むのも難しい?・・と少し大人になった(年齢は立派な大人ですが( ̄▽ ̄:) )あめみこは思ったりもするのです。
『人は心一つで鬼にも仏にもなりまする』
これは映画「陰陽師」で、藤原兼家に想いを残し瓜に蛇の形として呪を忍ばせ鬼となった女の屍を弔いに行く道すがら、博雅に晴明が言った言葉です。また、
『鬼も世の乱れも、人の迷い心があって生まれるもの』
という台詞。映画「陰陽師2」で、奇怪な天の動きと共に現われた謎の鬼について博雅が晴明に相談を持ちかけているシーン。「鬼」が生ずる理由について晴明が話した言葉です。
世の鬼は基本的に人の心が産み出すものであり、それを晴明は常に冷静に遠く離れたところから、いつも観ているのですね。
でも、次々に人が産み出す「鬼」の根源(人の悪しき心)を晴明はどうすることもできないのです。「陰陽師」として、鬼となってしまった悪しき魂を鎮めることしか出来ない。
安倍晴明が現代で「癒し」と称される理由は、こうした「人が持ってはいけない、と分かっていても悩まされる悪しき心(妬み、恨みなど)」を抱えることこそ、自ら鬼を産み出す結果となることを知らせてくれる存在でもあるからではないでしょうか。
確かに最近の世の乱れは、欲に負けた人間や、または誰かを殺したいと思うような恨み心、そういったものから発生してきます。
鬼を産み出すのも、そうして出来た世の中の乱れも、全ては自分の心がけしだいなのだと。
他人からの「呪(しゅ)」に惑わされるなと・・・。
修行をしたわけでもない、今のあめみこも、心の中に鬼を生み出すこともあるかもしれません。
他の人から発せられた言葉(ここで言えば呪)によって、闇に身を落とすことも・・・?
そんなとき、陰陽師の晴明の言葉を読むと不思議と心が落ち着くのです。
また純粋な心を持つ管弦の名手、源博雅。鬼さえもその清らかな性格におののいてしまう、彼は決して自覚していないが、その存在のみが最上の「呪力」を持っている。そんな存在に憧れ、癒されます。
これも夢枕氏が作る晴明の呪(しゅ)なのでしょうか。
他にも思うことがたくさんありました。
それはまた、時間のあるときに(〃⌒―⌒)♪