間狂言
読んで字の如く、間に行われる狂言。
としか・・・。あまり深く考えたこともなく。
ただ、能楽の虎の巻などを再び読み返して勉強してみました。
「間狂言」は「アイ」とも言い、狂言方が担当。
以下のような種類に分別されます。
・「語り間」
前シテの退場から後シテの登場までの間にシテに関する物語を語る。
これは結構基本中の基本?!・・でよく観るパターン。
・「替間」
能と能との間に独立した狂言が演じられる。
例えば 能「賀茂」の中の「御田」
能「嵐山」の中の「猿聟」など。
まだこの替間は観る機会がないので、観てみたい。
「キャーキャーキャー」の、猿聟。すごく観たい!とはいえ、単独ではなく能と能との間に独立した狂言が一曲入るわけですからさらに長くなっちゃうわけですね。
・「アシライ間」
現在能に多いもので、能の中で狂言方が登場人物を演じるもの。
例えば私のお気に入り。。。能「船弁慶」の船頭なんてのもそうですね。
・「口開け間」
能の最初に出て場面設定を行うもの。
私の数少ない能鑑賞では、能「鉄輪」の貴船の社人(神職です)
↑それしか思い浮かばない(苦笑)
それから、ワキに所をやものを教えるアイを「教え間」などとも言うそうで。
これはあまり私は馴染みのない言葉でした。
とはいえ、色々なパターンの間狂言(アイ)を観てみないことには、実際ピンとこないものですね。
何の知識もなく観に行った"いーっちばん"最初の能鑑賞は「百萬(ひゃくまん)」法楽之舞で。
舞台構成も、狂言方が何をするのかも知らず(爆)わからないことだらけ。
ただただ、能の間に狂言師が登場し、とにかく誰よりも分りやすい言葉で語ってた、ということしか憶えていません(苦笑)そう、他の出演者のみなさんて、「謡い」やら「○○候~」なんて、特に難しい言葉で流れるように物語を進行して行くのに、狂言方の「アイ」というのは、流暢に語っているし、スピード感が他と違う感じがしてなんとも不思議な(能の中では異質な)存在だ、などと思っていたのです。
ははは。今だから白状します( ̄▽ ̄:)
今思えば、間狂言とは、 物語を進行して行く上で欠かせない重要な存在なんですね。
例えば成仏できないシテ(主人公)の思念を辿る手がかりになったりするのですから。
そう思えば、間狂言(アイ)のない能もあるんですね。
何度も繰り返すようですが(笑)能鑑賞歴の浅い私が前に観た、能「源氏供養」などはアイがないので、初めて観たときにはちょっと不思議な感覚が残ってみたり。
まだまだ経験が浅いなぁと思う今日この頃。
能も狂言もセットで、早く観に行きたいぞ。
能。あのふんわりと包まれるα波もまたよかったりする(笑)
能楽の虎の巻(愛読書)に、眠くなったら静かにうつむいて眠っても良いでしょう、なんて書いてあってちょっと緊張感が和らいだことがあります。
とはいえ、お金を払って観に行くものだし、ケチんぼな私は頑張ってどんな場面も見逃したくないなぁと思うわけですが、ついつい謡の内容を真剣に聞こうと目を閉じると船出してしまいそうに(笑)
そんなときに、私にとってしっかりした間狂言の語りは意識レベルを正常に保つには結構必要だったりして・・・
さて。
デイヴィ・ジョーンズの悲劇を能にしたら・・・「もしもシリーズ」は考え中。
考えたからって、特にただの自己満足でしかないのだけれど(笑)
というより。
「よこはま万作萬斎狂言の会」レポ・・・いやもう覚え書きと言うか・・はどこへ行っちゃったんだろうか(笑)
暑いなー。暑くて頭がボっとする。
こうして文章を書き出すのに単語が出てこないってマズイ現象だ・・・。
2006-08-18 21:50 室温31℃・・・夜だよ、夜っ←クーラー入れましょうよ( ̄▽ ̄:)