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11時、岡崎中島町の八幡社に行く。ここには大正宮が建立されている。 大正天皇の即位時の悠紀斎田があり、その行事が終わった際にここに関係者の皆さんの御努力で境内社として建立されたもの。 小一時間かけて御社の拭き掃除を成し庭の清掃を行う。12時祝詞をあげて参拝を成す。 大正天皇御陵は東京都八王子市長房町にあります多摩御陵(たまごりょう)大正天皇陵・貞明皇后陵・昭和天皇陵・香淳皇后陵の4陵が造営されています。僕らも毎年1月7日の昭和天皇の御命日にバス一台に乗り上京し参拝に参ります。岡崎発・豊田経由での一日の行程です。陛下の御到着のお時間に間に合うように早朝出発の予定です。 大正天皇が崩御成されたのは1926年(大正15年)12月25日。今日が御命日なのです。 ちなみに貞明皇后は1951年(昭和26年)5月17日に崩御なされ、6月22日に斂葬の儀が行わたそうですが、わが亡き父の誕生日が5月17日、亡くなったのが6月22日ですのでつくづく不思議さを感じます。 明治天皇のお誕生日は文化の日としてまた昭和天皇は昭和の日として祝日となっていますが、大正天皇に関しては皇居でのお祀りはありますが他には取り立ててない形。御命日もクリスマスとなっている。クリスマスに世はかまびすしいですが、日本人としてまずは大正天皇への感謝をささげたいものです。 陛下のお誕生日12月23日が平日になってしまうのかと思うと残念でなりません。大正天皇の神社が岡崎市民の手で建立され守られ続けているとはいえ境内社にとどまるもの。神社庁の正式な認定もない状態。昭和天皇の神社はいまだ建立されていないのが現状。これでよいのでしょうか。 愛知には孝明天皇をお祀りする玉鉾神社があります。知多郡武豊町字向陽2丁目17。小高い山の上です。旭形亀太郎という人が創建を願い出て許可を受けて建立されたもの。旭形亀太郎氏は、幕末の文久3年に宮中警備隊長になり、蛤御門の変では玉座の守備にあたった人です。 建立許可があったのは明治32年のことであったといいます。時間がこれほどかかるならばまだ昭和神宮の建立は可能性がありましょう。英知を結集したいものです。
朝7時燃えるゴミ収集場所の点検。次いで自宅の清掃と整理を終えて病院に駆けつけ母を見舞う。家から散歩用の押し車を持っていき、これを使って母の散歩を行う。病院貸与の物より慣れた物の方が使い勝手が良いだろうと。病院の窓より我が家の方向を教える。しばらく感慨深くみてくれていた。嫁いでからすでに67年が過ぎ、さまざまな体験を持つ母はこの見晴らしをみて様々な思い出を語ってくれる。建物の陰になって我が家は見えないが親戚の家が見える。 市民病院からここにまで来て、わが家がすぐ向こうにある場所にまで来ている。「あそこにまで帰れるだろうか」など、弱気な言葉を口にするので、「早く帰ってきてもらわねば畑仕事ができんでこまる」と言っておく。
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Last updated
2018.12.25 13:55:27
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