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せんだって見た、大塚にある美容外科のコマーシャルに「私の鼻がもう少し高かったら、世界は変わっていたかも知れない」っていうふうなコピーがあった。
もっともだと思う。 世界(観)ってのは自意識の鏡で、「私の眼が二重じゃないから(鼻が少しばかり低いから)、世間は自分にとって不都合なんだ」と思っている人にとって、顔を換えることは、世界の変貌と意味的に大差無い。美容整形で世界が変わったと思い込むことはできる。 世界観は自意識の投影、というのは、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジが抱えていたテーマで、宮台真司などはこれを「セカイ系」と呼んで一刀両断なわけだが、現実に未だ一部の女性の間にはエヴァのシンジと同じ自意識がある以上、セカイ系を「終わった」ものとして窓から投げ棄てるわけにはいかない。 いまの整形したい女性は、エヴァンゲリオンの碇シンジと同じ悩みの真っ只中なのだ。 それはそれとして、男の子って整形美人よりは天然美人の方をありがたがる。 美人ってなにさ、的な判断もあろうが、なんだかまあそんな風潮なんですよ。たとえどんなに滑舌が悪くても背の高い美男子の方がカッコイイんでしょ。 で、オトナ向け面白ビデオなんかを観ていると、美容整形手術や豊胸手術をしちゃったであろうかわいらしい女子がいーっぱいいる。うーむ、とか思いながらも、ありがたく拝見している。 でも、なんか、違和感というか、萎えーなテイストがある。 気がついた。 ニューハーフみたいなのだ。 美容整形と豊胸って、ニューハーフ定番のオペじゃないですか。 女性的な「美」を追求しあらゆる手を尽くした結果、女性の外見は必然的にニューハーフに近づいていくことになる。 いや女優さんなら、まだいい。エリザベス・テイラーがリフトしているように、自分の外見はたくさんの人の食い扶持に直結した商品なんだから、それなりに責任もあるわけです。 でも、そうじゃない人が、世界と自意識の調和を図ろうってだけで、どんどんニューハーフのような外見に変わっていくのは、なんだか、えーと、すごい。男子が天然をありがたがる心理って、根っこにこういうアンテナがあるのかもしれない。 変わった瞬間は幸福なキモチにもなろう。それこそ世界が一変した気になるかも知れない。 でも、アレだ。 外見が加工されればされるほど、異性の本能を直撃できる可能性は減っていくことになるかもしれない。 この不調和は、取り返しがつかない。 そのことをセカイ系のシンジギャルは弁えているんだろうか、そりゃ無いな。 みたいなどーでもいいことを、どーでもいいエロビデオを観ながら思った。 あと、形成外科は戦争で大怪我した人の外見を「修復」するために生まれた技術、つまり戦争生まれの技術であることを、ピースな人たちには知っといて欲しいと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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