福山編(25) 福山城舟入・二重櫓~最終回
福山駅へ着く頃には、もうとっぷり暮れていた。あ~っ、カッチンの墓参りできなかった~!三村親成の位牌のある龍興寺行かれなかった~!渡辺氏ゆかりの寺へ行かれなかった~!いやいやいやいや・・・・・せめて、カッチン(水野勝成)の墓ぐらいは行きたかったよな~。寺町プランを組んだ時は、もちろん墓参りもコースに入ってました。が、結局山城優先プランに切り替えたからな・・・うう、ごめんね、カッチンあ、龍興寺ってのは「福山編(22)」に出てきた寺です。神辺からカッチンが福山に移させた寺で、三村親成(元親の叔父)の位牌は普通に拝観するだけじゃ見られないんでしょうけど、それでも行くだけ行きたかった。とりあえず、土産買わなくちゃ、土産・・・で、福山駅の「さんすて」で調達したんだっけかな。バラグッズを探して、種類はそんなになかったけど、バラのジュースがあった。2種類あって、高い方は京都のセキュリティーよしおへ、安い方は自分用に買って飲んでみたけど・・・うん、まあバラかな、って感じだったかな(笑)。でも、こんなのがあった↓。 野球とかサッカーのシーズン中は、TVのスポーツニュースはこちらではとにかくカープ!サンフレ!!どちらも観ない私には、「またかよ~」ってぐらいしつこく・・・あやや、熱く報道されます。このカープチューハイが今夜の友・・・そして備後での最後の晩酌になります。宿へ戻る途中の福山城月見櫓↓。 要害山城へ向かう途中、痛くなり始めてた爪がどうなってるのか見るのも恐ろしかったけど、靴下を脱いで確認してみたら何ともなかった。あ~、よかった・・・部屋でゴロゴロしながらセキュリティーよしおのブログを見たら、なんと私のことが記事になってた。(リンクはこちら)私が彼女のブログの中で主役を張ったのはこの時が初めて。あ~、思い返せば福山滞在期間中はずいぶん色んなことがあったんだなあ・・・(↑遠い目)そういえば、ここまでの記事で1日ごとの歩数を書かなかったので「アレ?」って思った方もおられるかもしれませんが、メモしたものが行方不明だったんです(笑)。先週ぐらいにやっと見つけたので、ここにまとめて書いておきます。 1日目 15,870歩 2日目 24,322歩 3日目 18,264歩 最終日は帰るだけで、4,407歩。さすがに2日目はね、結構歩いたからね。でも、私の旅の中では24,000歩は「ちょっと多め」ぐらいのもん。3日目は資料館で長居したからな(笑)。<4日目>2012年11月26日(月) 雨 ↑部屋からの眺め。正面に見えてるのは鏡櫓。予報の通り、今日は朝から雨。でも今日は帰るだけだし、3日間天気はまずまずだったからラッキーだったなしかし、家では全然ラッキーじゃないことが進行中で・・・( 「備後トラブル集・そのさん」)をご覧ください)重い気分で早めに宿を出る。バス乗り場へ向かう途中の駅前には、こんなものがあった↓。 【福山駅前に残る福山城遺構 福山駅前付近は、福山城三之丸の南東部にあたり、外堀に面して藩の勘定所や 重臣の屋敷がありました。外堀の南中央には、大手門があり、外堀を渡って 城下へ通じる木橋が架けられていました。 さらに、その外堀の東側には城内に湾入した舟入があり、御水門(おみずもん)と 二重櫓を備えていました。この舟入は、瀬戸内海から入江を通って外堀に入ってきた 舟をつなぎとめる施設で、御水門は舟から石段を上り直接城内に入る門、二重櫓は 舟入に入る舟の監視機能をもった建物です。 この舟入と御水門は、まさに城郭から入江を通り瀬戸内海に通じる「潮の道」の 門戸であり、海へ開かれた福山城郭の特質を示す重要な遺構です。】 (現地解説板より)で、発掘調査の際の写真も掲載されていた。 うわっ、こんなに残ってたんだ~。これをそのまま展示する訳にはいかなかったのかな~と思ったら、 【舟入は、保存のため埋め戻して地表にラインを表示しています。 二重櫓台の南側石垣については築城当時の高さに復元して、上部のみ公開しています。】・・・なんだと。ラインで表示って言われても、バスの時間もあるし雨の中コロコロを引いて歩き回るのは大変なので、ここでの探索はしませんでした。で、ここにはなんと福山城全体の縄張図があった↓。 舟入付近だけを拡大して、堀を色分けしたのがこちら↓。 見ての通り、現在の地図に縄張図を重ねあわせたものですごくいい。なあんだ~、こんないいのがあるんなら、なぜ城内にこれを展示せんのか!・・・と最後までクレームの嵐で恐縮ですが(笑)、福山城にしろ神辺城にしろ、いいお宝を持ってるのに、なんか維持管理方法がズレてるんだよなあ。何も大層な費用をかけて豪勢な復元建物や(元町長の)銅像なんか建てなくってもいい。もっとチープにシンプルに、でもきちんとお城のことを理解できるような展示が福山市にはできるはず。文化遺産の管理などはどうしても行政のトップなどの考え方に左右されるものではあると思うけど、2022年には福山城は築城から400年を迎える。その記念の年に向けて、地元ではシンポジウムとか色々行われてるようだけど、これを機によりよい展示方法を考えていただけたら、福山の町の建設に心血をそそいだカッチンもさぞ喜ばれるのではないでしょうか幸い、今回の福山編を書くにあたって大変お世話になった「備陽史探訪の会」様をはじめ、福山には地元の歴史を愛する方達が多くいらっしゃるようなので、福山の今後に期待してます。舟入のすぐ近くにあるバスターミナルで空港行きのバスを待つ。福山駅前からは沢山のバスが出ているらしく、四国行きの長距離バスなんかもあった。江戸期に大規模に埋立が行われた現在の福山はあまり海の近くってカンジじゃないので不思議な気がしたけど、因島とかをつなぐルートで海を渡るのかな。広島空港へ着いてからも娘さん(大)のことが心配で落ち着かない。けど、相当余裕を持たせて空港に着いたハズなのに、カードの手続きに思いもかけず時間を取られてしまったので、まったりする訳でもなく帰りのヒコーキに乗り込む。そこからがまた「備後トラブル集・そのさん」の後半の通りの状況で、も~ホント、さんざんでしたまあ、色々あったけど史跡そのものは良かったし人もすごく良かった。ただ、ロクに寺社を見てないので、その点で物足りなさはある。今度は寺町行きたいな~。ただ、夏はもう出かける気はないし、かといって寒い時期だとまた山城へ行きたくなるだろうから、時期の選定が難しいな(笑)。さて、ちょっとばかり文字数が余ったのでちと後日談を・・・まず、娘さん(大)ですが、父親がとにかく娘に甘いので、一生懸命病院に連れてって治療を続けさせた結果、おかげ様で元の疾患の方も良くなりました。なにせ、心配だからと1階でずっと娘さんの添い寝を続けてたぐらいだから(笑)。うちでは代々、愛犬を家で見看ってて、老犬や病犬の介護ももちろんしたし、ホントに目が離せない時は家族が交代で24時間付き添ってはいたけど、今回はそこまで深刻じゃなかったのに。病気が良くなってからもうちのダディは何だかんだと言い訳を付けては毎日毎日自分で2階から1階へ布団の上げ降ろしをして、1年近く経った今でも娘さん2人と3人で寝てるんですよ。その少し前に、うちではベッドの総入れ替えをして、毎日使うものだから気に入ったものにしなさいと私が予算まで出して高いベッド一式を買ってやったにも関わらず、大して使わないうちに看護生活を始めてしまったので、高いマットレスの代わりに煎餅布団を床に敷いて毎日寝てるとゆー・・・それから、足の爪ね。左右とも剥がれかけてたんだけど、いつの間にか新しい爪に完全に癒着してしまって、新しい爪が古い爪を押し上げてくれるまで待つしかない状態になってしまった。で、右の爪が取れたのがつい先月(2013年9月)。自分では2月の廿日市あたりで取れるかな~と思ってたのに、こんなにかかった(笑)。我ながら、伸びるの遅すぎ・・・しかし、左はまだなんです。まだどころか、半分の位置にすら来てないんです深爪にこりごりした経験から、足の爪は切らずに削るだけにしてるんだけど、そんなにマメにやってる訳でもないから、靴に圧迫されて伸び悩んでるのカモ・・・いや、それでもいつか取れてくれればいいんだけど、途中で引っかかってて、また前のように大変なことになったらどないしょあ~、もうあんな大変な思いしたくないんだけど・・・さて、以上で長すぎた本シリーズも終わりです。途中だらけたり、毎日更新できなかったにも関わらず、本シリーズも沢山の方にご覧いただいたようで、ありがとうございましたm(_ _)mちょっと福山は地味ですが、少しでも良いところを知っていただければ、こんなに嬉しいことはござりませぬ。(て、他県人で、しかも文句ばっかり書いてたくせに)にほんブログ村