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栃木の仙人 古本と温泉の日記

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2011年08月03日
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カテゴリ:思想

 本日の曲

 Interationale(French) ーーいいだもも氏に捧ぐ

ここに一冊の本がある。いいだもも著「三島由紀夫」私の名前宛てにいいだ氏の直筆サインが入っている。

そのいいだももさんが逝去された。3月の末のことだった。マルクス擁護の思想家、評論家、作家、歴史家、社会運動家・・・いろんな肩書を持っている多才な人だった。

新聞に追悼記事を書いたある批評的論者は、才能の人・天才と評していた。

いいだもも氏は、東大の法学部で、三島由紀夫と同学年、二人は熾烈なトップ争いをて、いいだ氏が一番、三島由紀夫が二番で卒業、その結果、いいだ氏は日銀へ、三島由紀夫は大蔵省へ。この話はいいだ氏本人が好んで繰り返し語った有名なエピソードである。

ただの自慢話ではない。あの世界的な天才作家でノーベル賞候補の三島由紀夫及び日本中から集まった選り抜きの超エリートたちと、若いころ東大で競り合ってその全部に打ち勝ち、完全封殺したという話なのである。

そのあまりのイヤミさが鼻につき、いいだ氏と一時期親しく、その後、離反した某SF作家ーーディープなインテリ・オタクたちに一時期カリスマ的な人気があったーーがいいだ氏とおぼしきこっけいな人物を自分の作品中に登場させ風刺漫画風にしてチクリ・チクリやっている。

これは、一見、いいだ氏の隠された上昇志向と権威主義を証する話みたいだが、人から嫌われるのが明白な自慢話を何度も何度もーーあたかも自分自身に言いきかせるみたいにしてーー繰り返さねばならないほど、いいだ氏は、三島由紀夫に潜在的コンプレックスを持っていたのではなかったか。

「三島由紀夫は僕の大親友でした。ぜひノーベル文学賞を貰って欲しかった」これもいいだ氏が生前、何回も語った言葉である。イデオロギー面のみならず、文学的審美的側面においても極めて辛辣ないいだ氏の三島に対する文芸批評を読んだことのあるものは、一体、どちらが彼の本音なのかと思ってしまう。一方において、三島の名作「鏡子の家」の影響を受けたとおぼしき、いいだ氏の小説が書かれていたりする。肯定面と否定面ーー強烈に意識しつつーーおそらくそのどちらもが彼の本音だった。

しかし、一方における三島側の反応はというとそれが始終冷淡なのである。いいだ氏との直接対談では、「東大で君のことあんまり見かけなかったね」と三島は言っているし、石原慎太郎と三島由紀夫の対談では、「いいだの野郎、今度会ったら、日本刀でぶった斬ってやろうかと思った」と語る血気盛んな若き日の石原に対し「イヤー、あんなの斬ったら刀の穢れになる」と三島由紀夫が応えている。

私が、いいだ氏を直接見たのは、二回きり。三島由紀夫の追悼集会とフランス革命に関するシンポジウムの参加者としてだった。著書から想像されるとうりの博覧強記で雄弁な語り部との印象だった。二三会話した以外交流する機会はごく乏しかったが、本は何冊か読んでいる。とりわけ興味深かったのが「現代社会主義再考」「エコロジーとしてマルクス主義」「主体の世界遍歴」といったあたり。

私のあくまでも私見であるが、いいだ氏は、「マルクス主義的世界認識における天動説論者」ということになる。つまり、こういうことであります。ガリレオ・ガリレイとコペルニクス以降、「地球が太陽の周りを回転しているのであって地球の周りを太陽が回転しているのではない。」というのが、「あたりまえのあたりまえ」今や誰でも小学生すら知っている既成事実であります。

しかし、仮に「いや、違う。絶対に違う。やっぱり、地球の周りを、太陽や、月、土星、木星が回っているのであって、地球こそが宇宙の中心である。」という仮説を強硬に主張したとする。

その説明は不可能ではないが、ものすごく複雑な数式や曲芸めいた論理の展開や辻褄合わせめんどくさい補強作業等が必要とされてくるのであります。

マルクス没後、通俗的マルクス主義者たちによる硬直した解釈ーーグローバリズムなど世界経済の流通規模及び生産手段の巨大な変動に伴う時代状況の目覚ましい進展や革命的な技術革新、地域の違い・地域独自の発展段階における特殊性の深化など、マルクス存命中とまるで違う客観条件が日常的にあるわけで、それを無視した、マルクス哲学の、教条的かつ即時的な、現状への当てはめーーかなり無理があるーーがむしろマルクスをダメにしてしまっている、マルクスを真に再生させるためには、俗流マルクス主義者たちの構築した「認識論的障害物」からマルクス自身を解放して、「マルクスのマルクス哲学」まで起源を遡る必要がある、としたジョルジョ・ソレリの見解(「マルクス学説の崩壊」)に私は賛成でありますが、いいだもも氏は、そこまで肉迫し得ていたのかどうか。

つまり、マルクスが生きていたら、マルクス主義者たちがやったごとき仕事ではなく、今の時代状況に合致した形での、パイオニアとしての苦闘にみちた独創的仕事を成したであろう、その部分での精神がまるで継承されていない。むしろ、ソルジェニーツインの「収容所群島」やソ連邦の崩壊、文革やポルポト、国内では連赤以降、これだけの負の遺産がありながら「今こそマルクスが必要だ。真の革命はむしろこれからはじまる。」とそれでも強硬に主張するいいだ氏は「マルクス主義的世界認識における天動説論者」として、様々な矛盾や時代状況の変遷を無視した、確信犯的革命理論の再構築作業、無反省な牽強付会、色褪せた理論の訓詁学に始終していたのではなかったか。

私個人に関し、いいだ氏の著作に多大な興味を寄せつつ、その隊列(人脈)に参入するのを妨げたのは、以上のごとき思想的理由でありました。

(いいだ氏同様、すざましい博覧強記と摩訶不思議な発想の曲芸、火花を散らすが如き白熱の話術で、観客を集団催眠状態に陥れる・・・話すのも書くのも天才的だった竹中労には、マルクスを相対化する目の視線がみられた。太田竜にもマルクス批判の観点が見られたが、華麗なアジテーション風の文体とは対照的に生来の口下手で話すのは大の苦手のようだった。いいだ氏とは、思想領域や人脈が重複、「資本論」は高く評価しつつも左翼批判の文脈からやはり、マルクスを相対化する目の視線が、フーリエやプルードンの掘り下げ・再評価にまで到達していた異色の思想史家・関曠野氏もいいだ氏よりはるかに柔軟で時代の現実をきちんと分析していた)

とはいえ、それでも私を強く惹きつけてやまないいいだ氏の思想的磁場は、まごうことなきマルクスの魅力、マルクスという太陽をめぐる巨大な惑星ーー木星や土星クラスに匹敵するーーの魅力であります。しかし、そこに限界も存したのであります。マルクスの巨大惑星以上でも以下でもないという限界が・・・。

「いいだももをめぐる四人の女たち」とか、パチンコ中毒でパチプロ級の腕前とか、いいだ氏を取り巻く空気が、プロレタリアートの前衛党というより意外に「貴族的で華やかな雰囲気」であった矛盾点など、人物についても思想についても書き始めるときりがないので最後にいいだ氏の武勇談というか、とっておきのエピソードをひとつ。

もう20年近く大昔になります。

右翼が呼びかけた三島由紀夫の追悼記念討論集がありました。主だった右翼の指導的活動家たちの他、生前、三島と交流のあったいいだ氏が主賓として呼ばれた。会場には500人ぐらいはいたと思う。いつまでも記憶に鮮明に焼きつくような白熱した討論集会だった。いいだ氏を知る人たちには、くどくど説明の必要はないでしょうが、念のため書いておくと、右翼の思想といいだ氏の思想は、敵と味方、水と油、不倶戴天の仇敵といった関係にある。招待されたとはいえ敵がわざわざ時間を割いて、討論のため敵の中の敵陣に乗り込んできた形。表面上の言説はどうあれ、右翼はそのような勇気ある人物にーーもちろんーー最大限の敬意をはらう。こんなおもしろい場面はめったにない。討論集会に入る前、司会者の説明と紹介が入った。

主賓の番になり、いいだ氏が話しはじめた。「右翼のみなさんのどなたか、当然、やってくださると思ったのですが、死者の魂を表敬することがまず重要だと思うのです。誰もやらないから、じゃあ、私がやりましょう。みなさん少しの間起立してください」そしてものすごく大きな声で「三島由紀夫のあらみたまに対し黙祷!」・・・とやったのである。

いならぶ右翼の活動家諸氏が度肝を抜かれたことは言うまでもない・・・・






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Last updated  2011年08月03日 12時19分10秒
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